多次元世界を探求する

自分の宇宙は自分の中に内在する。意識変容の先は多次元空間が存在していた。8年間内観しずっと自分の奥を掘っていったら、3年前に堰を切ったようにライトランゲージが口から発さられ、さらにその奥の多次元領域にアクセスできる鍵を受け取った。現実と多次元領域の連動を楽しく研究する日々。

「自分には力がない」を終えていく

3連休初日の朝、一番下の娘が朝から高熱でダウン。

 

元気だけれど、熱は40度近い。エネルギー調整すると、次から次に契約が表面化してくる。

 

調整すること数時間、結果、とんでもない膨大な量に。

 

落ち着いてきたかと思うと、また体に症状が現れ、契約が噴き出してくるイメージ。

 

終わらない感覚に、何か怒りに似たモヤモヤが浮かび上がる。

 

それとは別で、真ん中の娘が勉強するものの、学年初期の簡単な問題なのに、ちっともわからないという言葉に、何かが反応。これもモヤモヤとした怒りに似た感情。

 

何に反応しているのか、自分の中に何を持ち合わせているのかすぐにわからない。

めずらしく自分と対話してもすぐにわからない。

 

 

この似たような反応を最近なかっただろうかと感じてみる。

 

 

そうすると、数週間前のあれのときうっすらと、また3日前のこれのときもうっすらと感じたことを思い出す。

 

 

これらすべてに共通する感覚を紐解いてみると、

 

 

 

「自分に力がないこと」を見せつけられるような時に、

 

防御反応としてそれらを受け取らないように出る感覚だと。

 

 

 

ああー確かにそうだ!スッキリ~笑

 

 

そう自覚すると、今までだって、たくさんそんな場面あったことを思い出す(笑)。

 

今に始まったことじゃなく、今までだって似た感覚になることは山ほどあった。

 

だけど、明確な感情・感覚として感じ取れなかったし、あるようでないような、何ともフワフワしたものだった。

 

 

でも明確になった今、「なんで気づかなかった?!」と驚くほど確かな感覚として捉えられる(笑)。

 

 

ずっと「自分に力がない」を認めまい!と、がむしゃらに進んできた。

 

 

 

けれど、もう気づいてしまうと、もうそんな枠組みに自分を置いておくのは嫌だ。

 

 

「自分には力がある」、「力がない」

 

そんな二極性の世界の中で生きるのはまっぴらごめんだ。

 

 

ということで、その枠組みから抜けて自由に生きることにしました♡♡

 

 

そうすると、一気に調整が入り、楽に。

 

 

出来ないから頑張る、力がないから頑張る、という世界はもう終わり。

 

 

私ができることと、大いなるものに委ねるところはきちんと線引きして

自分の心地よい領域に身を置き、引き続き、お仕事も頑張っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石膏デッサン

 

絵画教室で今回は、「石膏デッサン」にチャレンジすることに。

 

びっくりするほど、捉えられない(*_*)(*_*)(*_*)

 

どこからどう描けばよいのか、またお決まりの頭がブラックボックス状態(笑)

 

工業製品と違って、人の顔は少しの違いが別人にみえる。

 

私の場合は、西洋人が明らかに東洋人になってまう笑

 

 

全く捉えられないものに遭遇すると、一気にアドレナリンが出る。

 

書き方やその先の見通しが全く立たない、だけど進まなきゃいけない。

 

 

昔はこうした感覚が地獄でしかなかったが、今では

 

 

何だか°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°キラキラをその壁の奥に感じてしまう不思議。

 

 

 

どうやったら西洋人になるのか、

 

実物に近づけるコツとは。

 

工業製品とはまた違う引き出しが必要で、今からワクワクする。

 

でも来週は、教室がお休みだから2週間後。

 

 

完成まで1カ月以上はかかりそうですが、できた時は

実物とデッサンをアップしたいと思います。

 

ドキドキ(笑)

 

 

 

 

 

娘の勉強に向かう中で表面化されるものたち

 

collectingmyself.hatenablog.com

 

この1カ月半、娘と臨んだ学年末テスト対策の旅の間には、娘の中から沢山のエネルギーが表面化しました。

 

彼女の場合は、勉強しようとすると、胸が痛くなったり右足が痛くなったり呼吸困難になったり。その他にも、夫が同じ部屋に来ると急に勉強するのを放棄したり。とにかく様々な形で彼女の中にあったものが表面化。

 

都度そのエネルギーにアクセスし、対峙し、整えていくのですが、

まあ、本当にいろんな角度から、出てくる出てくる(笑)。

 

彼女自身が、今まであんなに拒絶していた勉強に向き合うと決めたからこそ、

表面化してくるもので、まさに祝福だなと思いました。

 

毎度心折れそうになりながらでも逃げないと決め向き合うと、

向き合わせないようにするエネルギーが表面化する。

そう、まさに綱引き(笑)進もうとすると、ずっと奥底にあったエネルギーが表面化し抵抗する。

 

夫の存在を感じると勉強を止めてしまいやる気がなくなっていた娘ですが、この1カ月半私も共にし、その彼女のパターンを眺めずっと不思議に思っていました(笑)娘もそういう態度を辞めたいのに、反射反応のようになってしまうことに悩んでいました。アクセスしてみると、彼女の中に、並行世界の父娘関係が色濃く共鳴されていて、調整しながらこういう背景によるものなのかと、目から鱗(笑)その調整後は、夫が同じ空間に居ても勉強できるようになり、何なら夫に勉強を教えてもらうことができるようになりました。

 

 

テスト2日目に出てきていた

 

・テストが開始されると意識がフワフワして集中できない事象も

・数日経つと記憶が消えてしまうくらい薄まるのも

 

「勉強ができるようになる=社会の歯車にひきづりこまれる」

「社会の歯車に入ると、自分らしく居れない、自分の本当にやりたいことができなくなる」というエネルギー。

 

 

要領がよい、頭が良い、仕事ができてしまうと、どうやっても社会の枠の中に入り自分がやりたくもないことをやらされる、だったら、最初からその枠に入れないように断ち切る、そんなエネルギーたち。社会に入っていくことを恐れ拒絶するエネルギー。

社会と自分を切り離したいエネルギーたち(集合体)。

 

彼らとは30分近く会話して、

 

自分が好きなことをスムーズに行うために社会を切り捨てるのではなく味方につけもっと自分が実現したい形を創り上げる

 

方向で合意が取れ、調整の許可が下りました。

 

 

 

翌日のテスト最終日は、娘本人びっくりするほど、

地に足がついて、緊張もせず、家で勉強していると同じ感覚でテストを受けれて

今までこんな感覚になったことない!、と帰宅してすぐに教えてくれました。

 

だからと言って、テスト結果が良かったわけではなく(笑)それに関してはまたいちから頑張るとの宣言。

 

 

「社会」「大人になる」をものすごく怖がっていた娘ですが、

この1カ月半で、意識が大きく変わり、

 

帰ってきて、自分が行きたい高校に入るために、

 

明日からの勉強計画を相談したり、私はこうしたいと宣言したり。

 

娘を通しても、私たちは見えないたくさんの多次元的繋がりの中で

生かされていることを改めて感じるのでした。

 

 

まあ、今週末はゆっくり休みたいと思います(笑)。

 

 

 

 

 

後退することへの拒絶感半端ない

 

子どもたちの学年末テストも今日で最終日。

 

娘と一緒に勉強を始めて、約1カ月半。

 

後半、娘が自走できるようになり、あまり関与することはなかったものの、

 

正直、疲れました。

 

昨日は、あんなに勉強した歴史と数学のテスト日。帰ってきてテスト問題を見せてもらうと、

 

まさかこんなところで、間違う?!という基礎の基礎からできておらず、

 

できるだけ平常心で聴こうと思って顔だけは頑張って作っているけれど(笑)、はらわた煮えくりかえる。

 

 

これもできていない、これもできていない、これも間違った、これも問題をしっかり読んでなかった…と言われるたびに、なぜかめちゃめちゃボディーブローのように、一つ一つが重く打ち込まれ、最後は立ち上がれなくなりました、私が。

 

娘曰く、

 

テストが始まると、平常心じゃいられなくなり、地に足がつかない感覚になる。

 

勉強してもしても、不思議と2~3日経つと、記憶が遠くなり、分からなくなる。

その時はすごく分かっているのに、3日後はうっすらやったかも?と思うくらいの薄さになる…。

 

 

彼女がその話をしているときに、彼女の中に勉強をするのを妨げようとする大きなエネルギーが在ることに気づきました。(これについてはまた別で書き残します)

 

 

今日書きたいのは、私の中にある、彼女とのこれら1カ月半の歩みで明確になったこと、

 

私の中に「後退することへの半端ない拒絶感がある」ということ。

 

自分でもその半端ないエネルギーにびっくりしました(笑)

 

自分の事ならば、いくらでも無理したり努力したりして、後退なんかさせる隙なんて絶対作らない(笑)けれど、他者(娘)を通して、私の中にそれだけは絶対受け入れられないというエネルギーを持ち合わせていることに気づきました。

 

私はどんな時もやると決めたら猪突猛進だし、どんなに苦境に立たされたって逃げるという選択肢すら出てこない。

 

それらは今まで私を成長させ、様々なスキルを獲得させるうえで、ものすごい後押しになったけれど、

 

娘を通して気づかせてもらったその持ち物をもう終える時が来たのだなと思いました。

 

なんなら、「後退する」だけではなく、「進まない」も超嫌い!

 

そう思うと、前進しか許されないその世界にずっと自分を入れてよく頑張ってきたな、と。

 

想像するだけで、苦しいやんかーーーー(笑)!

 

全体を俯瞰して眺めながら、進まないときだって、時には大きく後退するときだってあって良いのだ。それくらいの遊び、余裕、赦しを自分に与え、もっと柔らかな世界に行こうと決めました。今回、娘とのこのテストジャーニーがなかったら気づけなかった。

 

 

今回のことで、国語も英語も数学も、基礎の基礎からやり直すことにしました。

漢字を覚え、言葉の意味を丁寧に調べ、数学の単純な計算から難しい計算問題をひたすらとき、盤石な基盤を作ろうと提案すると娘は私もそれが良いと思っていた、と。

 

 

後退は、負けや弱さではなく、より高くジャンプしていくために必要なステップ。

 

「後退する」とだけ聞いて恐れていたその感覚が柔らかく解けていく。

 

なんでそんなに、カチカチに縛っていたんだろう(笑)

 

後退も必要ならばやろうじゃないか(笑)、潔く(笑)どんとこいだ!

 

 

電源タップ故障は、ソフトウェアとの互換性が悪いサイン

朝からパンを焼こうとトースターを使うも、あれ?電源がつかない。

 

我が家はトースター兼レンジ兼オーブンなので、壊れたら一気に全部使えなくなる(;'∀')。

 

と横を見ると、先にスイッチを押したはずのコーヒーメーカーも動いていない。

 

朝からヒヤヒヤしたが、問題は電源タップで、何だかおかしい。

 

今の今まで何も支障がなかったのに、急にだ。

 

だいたいこういうときは、私の意識と関係している。

 

そして意識が変容すれば、故障などなかったかのように元の状態に戻るのはいつものこと。

 

だから家族を送り出してゆっくり向き合う。

 

ただ、今回は、この電源コードの不調が何を伝えようとしているのかをすぐに捉えられない。

 

 

一旦、カードをひいてみると、

 

何か認識し、受け取るものがある。しかもライトランゲージで。

 

 

 

 

という事なので、受け取ることを了承(許可)してライトランゲージを発すると、

 

 

意識をパソコンに例えるところの、

 

OSの大幅アップデートだった。私たちはすべてシステム上で動いており、個々でOSのバージョンが異なっている。(以前教えてもらった)

 

今回はOSだけではなく、パソコンでいうところの、ミドルウェアもアップデートするようだ。

 

 

アプリが最新になり、今、ソフトウェアと互換性が良くないみたい。

スマートフォンなでで定期的に行われるシステムのバージョンアップのようなもの。

アプリだけが最新になっており、システムとの互換性が悪く、うまく動いていないらしい。

 

私は全然そんな感じしなかったけれど、まあ、互換性が良くなり、更に楽にいろんなものが動くならそれに越したことはない。

 

数日再起動に時間を要するみたいだ。

 

 

電源タップは一応何かあったら怖いので、アマゾンで注文し、その日のうちに届くということで、一安心。

 

この電源コードは私が大学生の頃にPC関係の電源コードとして購入して、20年以上よく働いてくれた。

 

 

今まで、ありがとう。

 

電源タップをアマゾンで注文する際に、私の好きな漫画の続編の予約注文受付中の画面が現れ、そちらも合わせてポチリ。こちらも受け取れて良かった♡

 

 

 

 

 

 

 

 

面倒を超えた先

 

昨日細かくは書かなかったけれど、あの後の買い物への感覚の変化を書きたいと思います。

 

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面倒を手放すと決め、いざ買い物に行こうと準備を整え、自転車の鍵を

靴箱の中から取り出そうとすると、鍵が見当たらない!

 

 

数日前息子が家の周りを自転車で乗ったのが最後、所定の場所に鍵が戻されていない。

 

息子の部屋をあさったり、彼がこの数日着ていた服すべてをあさっみたり、

関係ない娘の部屋まで行ってみたり、念のため自分のバックや服をあさってみてもどこにも鍵がない。。。

 

 

息子が帰ってきて、鍵のありかを聞いて、買い物に行くしかない・諦めるしかないかと思ったら一気に行く気が失せて出た言葉が、「マジめんどくせー」だった(笑)

 

それにハッ!!として、

めんどくさいを超えるって宣言したんだった!(笑)

いつものパターンに戻るところだった!!

 

 

と気づき、まさかの徒歩で買い物に行ってみようと思い立つ。

 

 

 

ウーバーイーツ並みのでっかいリュックを背負い、1km先のスーパーに向かう。

 

汗をかきそうだったから、上着を着ずに、トレーナーで出掛けることに。

 

 

歩いてそのスーパーに行くなんて初めてだし、歩いていくという概念すらなかった(笑)

 

 

でも歩き始めてすぐに、歩いて来てよかったと思った。

 

すっかり季節は春で、太陽がポカポカ温かい。

 

水仙が咲いていたり、庭師さんたちがお寺の庭の植え替えや選定をしていたり。庭がきれいに整えられる姿を観るのは大好き、そのほかにも高卒くらいの若いお兄さんたちが師匠に付いていろいろ学んでいる姿にほっこりした。

 

新しい家が建っていることや、新しい店ができていたり。

ポスターなどを見て、そんなサービスが在るのか~と知ったり。

 

その他に、数日前、塗装工事の営業さんが家のインターフォンを鳴らして、「挨拶したいから玄関までお願いします」という決まったフレーズとその一方的なアクションに、マジくそめんどいと思ったけれど、今日は、どこかの家にピンポンをしている営業さんを客観的に観て、大変な仕事だなとその人の置かれている状況を想像したり。

 

歩いていると自然と腰とお腹に力が入り、最近の運動不足にちょうどよいと、さらに腹筋に力を入れて歩いてみたり(笑)帰りは重たい荷物を背負い、バランスを取るように腰回りに力を入れて歩く。

 

 

鍵がないと分かった時、息子が帰ってきたら怒ってやろうと思っていたけれどそんな怒りも消えてしまいました。

 

 

夫と子どもたちに大量のチョコと、お友達にあげる友チョコと包装用の道具、テストを乗り切れるように上の二人が好きな食材を買って帰りました。

 

昨日は重くなりすぎると断念した、牛乳、油、他調味料を、このあと歩いて買いに行きたいと思います。

 

娘と作った小分けにした友チョコたち。

 

娘は、「そんなんやらんでいいやろ」と一蹴されたのに、なんで?いいの?!と大喜びでお友達にお手紙書いてました。



夜は真ん中の娘が好きなエビで、初めてガーリックシュリンプを作ったらめちゃめちゃ美味しくて、これはビールのお供に、今度大量に作ることにした。今回レシピ通り作ったけれど、殻つきは結局食べるときに手が汚れるので、次回は殻は全部剝いて作ろうと思う。

 

 

「面倒」を手放す

 

今日は朝から、何だか気が乗らない。

 

なぜ気が乗らない?と聞くと、

 

「買い物に行かなきゃいけないから」

 

 

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以前の、「食材がなくなる不安」は無くなったけれど、

 

 

やっぱり買い物に行くのは超面倒くさい。

 

なぜにこんなに面倒かを自分に聞いてみる。

 

「誰か知り合いに会うから?」

「お金が消えてくから?」

 

まあ、それもあるっちゃある(笑)

 

「知り合いに会わず、お金も山のようにあったら、行くのが面倒じゃなくなる?」

 

 

と聞くと、「いや変わらず全然面倒」との回答。

 

ということで、まだ形にならないその理由を紐解いていく。

 

会話しながらジャッジせず引き出していく。

 

・身体を生きながらえさせるために食べなきゃいけない

・家族の喜びを感じさせるために新しいものを食べさせなきゃいけない

・身体は世話しなきゃいけないものだと思っている

・生きるのは面倒だと思っている

・やりたくてやっているのではなく、仕方なく、頭で必要だと理解していてやっている

・やりたくもないのに、私の労力も気力もお金も流れていく(笑)

 

買い物=面倒でしかない

面倒=極力避けたいモノ

 

このあたりで、最近面倒だと感じることをいろんな角度から感じたことを思い出す。

 

例えば、

 

・一番下の娘が「友チョコ」をバレンタインの日に渡したいと言い出し、一瞬で却下した(笑)

 

・一番下の娘から今回の授業参観は木琴をひくから来てほしいと言われたのに、保留にした(笑)

 

・夫が最近仕事がうまくいかないようで元気がないのを知り、無意識に接点を持たないようにしている自分がどこかにいる(彼のネガティブな状態に心が持って行かれそうで面倒に感じている)

 

・中間テスト真っただ中の上の二人。以前、コントロールを外してから、娘は自分で勉強を始め、あまり関与することがなくなったけれど、テスト前日ということもあり、問題を口頭で出してほしいと二人とも夕飯が終わって来て、彼らの熱量を感じてもちろんやったけれど、心の中は、めんどくせーーと思っていたし、自分でやれよと口からでそうだった(笑)

 

 

‥‥

 

 

と書きながら、これらは今に始まったことじゃなく、ずっと持っていたものだ、

 

 

と気づく。

 

 

今までこんなもの気づいて当り前なのに、そういうもんだと思っていた。

 

そう思うと、あれもこれも。この時のあれも、あの時のそれも(笑)全部そう。

 

時代を昭和まで遡る勢いで、あれもこれもと気づく。

 

要はずっとめんどくさいを結構人生の大きな規模でもって生きてきたことを知る。

 

 

なぜ「めんどくさい」をここまで持って生きるのだろう、とその奥を感じてみると、

 

「変に動いて傷つきたくない」

「無駄に労力を使って、変なことに巻き込まれたくない」

「ドタバタ劇をもうやりたくない」

「必要以上に自分を疲れさせたくない」

 

 

「静かに平和に生きたい、安定していきたい」

 

 

 

 

…そうか、こうやって私はずっと守られてきたのか。

 

 

その奥に在る、いわば一種の愛の形に気づき、

 

 

一方で、これに気づかせられた今、ずっとこの枠の中で生き続けるのか否かを感じてみる。

 

 

そうして、怖いけれど、

面倒という形で、高い塀の中にいるように守られていたけれど外に出て、いろんな経験をしてみよう

 

もし傷ついたりぐちゃぐちゃな事態になろうとも、私はいくらでも超えていける「術」を持っている。

 

安定でもあるけれど、違う言い方をするなら、「何も起こらない」という枠の外に出て、もっといろんな経験、体験をさせてあげようと決めました。

 

 

そう決めた途端、

 

不思議なくらいに、

 

 

・娘が配れるように、友チョコを買いに行こう

 

・授業参観は行こう

 

・今日、スーパー3件くらいはしごしよう

 

 

という気になり、すぐに行動できました。

 

 

やってみると、あんなに面倒だと思っていたのに楽しい、という。

 

 

気づかなければ変えられない。

 

でも気づきさえすればいくらでも変えられるという、意識の持つ力、魔法に

 

今日も素晴らしいなと思うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉛筆の記録が深みになる

youtubeなどでデッサンの仕方を教えている人の中には、

最初から白抜きの部分、白黒の濃淡を一回で捉え描き分けている人がいて、

 

これこそ、絶対音感ならぬ、絶対観感?(そんな言葉ないけれど)の持ち主で

天才なのだろうと思う。

 

そうした動画をみれば見るほど、こんな感覚で最初から捉え描けたらどんなに楽しいだろうか、と思ったり(笑)する自分がいる。

 

 

 

デッサン作品4作目。

 

今までで一番難しいエスプレッソメーカー。形取りは、満足するものになったけれど、重たい金属感をどう表すか。

 

いつも通り、このモチーフで一番暗いもの(リボン)、明るいもの(テニスボール)

その間の色合いのもの(エスプレッソメーカー)をバランスよく捉え、重たさ、硬さ、素材感などを一旦無視し(笑)、まずは一度濃淡だけをつける。

 



素人には、これでもういいんじゃない?と思ってしまうが、

 

先生曰く、ここから書き込みが始まるとのこと。

 

 

今まで教わったテクニックを使い、まずは、練りケシ(消しゴム)をゴロゴロさせ、

 

重ねおいた鉛筆の暗さを全部消す。

 

 

明暗をここまでしっかり書き込むのも時間をかけてやったのに、それらを「消す」という作業に躊躇してしまうが、やるしかない。

 

2回目の教室で、この技を教えてもらったけれど、ここからは消して、硬い鉛筆に変えて、画用紙の穴を埋めながら、硬さや柔らかさなどの素材感を表現していく。

 

練り消しで消すと、一気に薄くなるが、鉛筆の記憶はちゃんと紙に残っており、

それらが、重厚感や深み、リアルさを演出してくれる。

 

 

要は、消すと分かっていても、しっかりと鉛筆で明暗をしっかり入れることが重要だという事。

 

 

面白いなと改めて。

 

鉛筆の記録が深みとなる。

 

人生もそうだな、と改めて。

 

本で誰かの経験は読め、疑似体験もできる。

だけど、しっかり自分の体験として刻み、一旦真っ黒になったとして

そこから消して書き換えをしても、過去の記録は厚みや重厚感、奥深さとして絵を支える。

 

真っ黒にすることも、一旦後退したと錯覚しながらも消してしまうことも、

 

どれも無駄ではない。

 

 

1枚目は、消しゴムで消す前のもの。

 

 

 

2枚目は、消しゴムで消した後、硬い鉛筆で書きこんだもの。

 

 

 

この1枚の変化に2時間要している(笑)

 

 

1枚目のまま終わらなくて良かった。洗練されたし、しっかり重み・深み、素材感の違いが感じられる。

 

 

書き込みはもっとやればやれるのだろうけれど、今回はこのあたりで完成ということで、来週からは5作品目に入る。

 

 

次は何のモチーフを書こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「契約破棄」調整の変化

 

最近、自分自身のエネルギー調整やセッションで、

 

1度に契約破棄できるボリュームが格段に違ってきている。

 

私がやっているわけではなく、ただ、観ているだけなのだけれど(笑)、

 

少し前まで数レベルだだったものが→ 数千万個レベルまで。

 

調整中は、破棄できる契約数はもちろん、エネルギー調整の進捗状況を%で見せてもらえる(電光掲示板のようなものでシェアされる)ので、セッション(エネルギー調整)が今どのあたりまで進んでいるのか分かるのだが、

 

契約破棄数が25万、とか最初聞いて耳?を疑ったり、

 

そう思っていたら、その数日後、1600万という数字で、軽く前回の驚きを超えていったり、

 

だからと言って、セッション時間がいくらでも長くなるわけではなく、

 

今までとは違うライトランゲージが使われている。。。。

 

 

よく分からないけれど、発しながら観察するしかないので、そうしている(笑)

 

一気に破棄できる数がここ2週間ほどで、どんどん更新されていく一方で、

それだけのものが一気に破棄可能(許可が出る)になる、そちら側(人間側のブループリント)にも驚きだ。

 

どんな仕組みになっているのか、気になる。。。。

 

 

しばらくは観察だ。

確定申告

 

一昨年からfreeeという会計アプリを使っていて、2022年の確定申告は、紙→電子という新しいやり方に戸惑った。マイナンバーカードのPWの更新手続きを行っておらずで、使えず、市役所に行く羽目になったり、マイナポータルなどの電子申請に必要ないくつかのサイトとの連携なども必要で、昨年は正直、うんざりした。

 

今年は、前年度にすべて連携済み、住所などの細かな入力などは過去の記録を引き継いだりできるおかげで、やり始めて、20分ですべて終わった!

 

ブラボ―――!

 

こうしたシステムのおかげで、超楽に終わらせられることに感謝しかない。

 

個人事業主になってこの8年あまり。この確定申告作業に心がずーーーんと例年1月後半あたりから重くなっていたけれど、今年以降、それともおさらばできる。

 

ありがたや~。

 

そんなこんなで喜んでいるところに、先週ネットで注文したコーヒーメーカーが届いた。

 

コーヒーは今まで自分で作った陶器のフィルターとポットで手動?で丁寧に淹れていたけれど

 

朝、上の子ども達2人も飲むようになり、4人分淹れるのに朝バタバタするので

(夫の弁当作りと家族の朝ごはんを並行して作っていての、何度もコーヒーに湯を注ぐ作業が地味に堪える。)、コーヒーメーカーを購入した°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

 

すぐに洗って試運転。その後私のコーヒー一杯だけ入れてみたが、

 

(マグカップで1人分入れるのも可能)

 

普通に、超おいしい(笑)

 

ほっといて、うまい珈琲が飲めるなら、もうこれでいいじゃんって(笑)

 

出来たコーヒーを受けるポットが昔持っていたガラス製のものとは違い、今回はステンレスで、割れないように洗ったり扱ったりしなくてよいので、安心。

 

ということで、いろんな文明の利器を活用しながら

 

これからも楽に生きていきたい、と思います。(笑)

 

 

エネルギー統合後の変化

以前書いた領域にアクセスしそのエネルギー統合されると、現実は自然と変わっていき・・・

collectingmyself.hatenablog.com

 

collectingmyself.hatenablog.co

 

以前書いたものそれぞれの変化を紹介したいと思う。



・朝から息子の中学校の担任から電話が。息子が朝礼の時間になっても学校に来ていないと。遅刻扱いになりますがご了承くださいとの話だった。息子は隣駅近くの中学にいくのに、電車を利用しており、毎朝、電車で行ってギリギリの時間に着く想定で家を出ていた。その日は家を出た直後定期券が見つからず、仕方なく、走っていったようで当然遅刻となった。帰ってきた息子にその話を聴き、呆れと怒りが。私たちの住む地域は公立でも高校受験における内申点評価の割合が大きく、日頃生活態度に気をつけているが、たった一度の遅刻で大きく減点される。息子が行きたい高校を目指し日々頑張っているのを知っているからこそ、彼の準備不足や見通しの甘さにイラっとした。

 

→あの日以降、息子は自分でやばいとスイッチが入ったようで、今まで家を出ていたその10分前には家を出るようになった。今まではぎりぎりまでこたつの中にいたのに、今では朝私は家事をやっているので、彼がいつ学校に行ったのか気づかない時が多い(笑)。

 

・数カ月前から、本気で勉強に向き合いたいというので、(でも力不足なので力を貸してほしいという娘からの依頼を受け)、毎晩ママ塾を開講し、スケジュールや講義、進捗管理を担っています。おいおい慣れてきたら(本人がやり方や管理の仕方が分かってきたら)それらを移管してくつもり。現在期末テスト準備期間に入りました。この2週間ほど、おそらくこの範囲までだろうと多めに見積もっていた見通しが外れ、年度末期末試験ということもあり想定よりもずっと範囲が広いことが判明。学校から帰ってきた娘からそれを聞き、私の中で、一気に出てくる苛立ちと焦り。いつ何をどこまでやるのか、間に合うのか、どんな組み立てに落とし込むか、娘から範囲の話を聴いた瞬間から、それらが一気に頭を駆け巡る(笑)

 

→娘が主体的に勉強するようになり、私が彼女の勉強に関与する割合がぐっと減り、また彼女が自分の部屋で勉強するようになり、私はリビングで本を読んだり、ドラマを観たり、夫と大声で話したりできるようになり、生活スタイルが一気に元に戻った。関与の割合が減っているのに、彼女の主体性も理解度も意欲も上がっている。何も言うことがない(笑)。

 

 

・最近水槽に入れた海水魚の一種パープルクイーン。購入前の調べが甘く、海水魚飼育上級者向けのパープルクイーン、餌付けに大苦戦。夫が出張のため、世話を任され、どんなにお腹が空いていても食べない、食べても彼らの本来の生息地の環境とは異なる食べ方の環境のため、数粒口にするのがやっと。それを観て、うまく餌付けが進まないジレンマ、苛立ちに似た怒りが湧いてくる。「生きる力が弱すぎる!(怒)」、と。

 

→彼らが、魚卵だったらを食べれるかも?とネット記事で読み、夫と出掛けたスーパーで、破格の値段で大量の生のタラの卵が売られていて、それらを購入。卵をばらけさせ、塩水で洗い、水気を取って冷凍したら、2年分以上はある?と思うくらい、彼らの餌が準備できた(笑)それらを餌として与えると、驚くほど反応よくきれいに食べるように。最近では水槽に近づこうとすると、餌?と思って水面までみんな寄ってくるように。

 

 

一方で、穏やかな性格だとネットで調べ、購入したロクセンヤッコは、個体差なのか、超ビビりで神経質、周りを威嚇し、自分のテリトリーにほかの魚が入ろうものなら、どこまでも追い回し、しかもそのテリトリーをどんどん拡大させ、平和だった水槽が一気に殺気立ち、しまいには本人がストレスで病気に。自分の神経質さや小心者さを外にぶつけ、自分も病気になり、只今薬浴隔離中。こいつは何がしたいのか、「どいつも生きるのが下手すぎる!!」、と心の声。

 

→ロクセンヤッコは、あれからあまり威嚇をしなくなり、彼が発する警戒音(グルグル)を聞かなくなった。水槽に穏やかさが戻った。

 

・我が家は5人家族で、食べ盛りの中学生が二人と大食いの夫がいるので、食材や日用品がすぐに減る。出不精の私にとっては買い物に行くのが億劫だけど、一方で少しでももの(特に食材)が減ると、不安になり、重たい腰を上げて外に出る。食材に関しては、今までもストレスに感じていたのに、急にスポットライトが当たったかのように、ああーーー私、少しでも食材が減ることに超ストレスに感じるのだなと、今になり超自覚するという(笑)

 

→最近は友人とランチをしたり、絵画教室に行くなど、外出することが増え、その帰りにスーパーに寄るので、食材が減りストレスを感じる機会がぐっと減った、というより、感じることがなくなった。夫がいるときは夫がちょくちょく買い物行くかい?と誘ってくれ、車を出してくれるので、大量に買いだめすることもできたり。

 

 

のように、すっかり現実が心地よいほうへと変わってしまいました。

 

 

めでたしめでたし(笑)。

 

全ては目醒めの材料

2週間前から見始めたハリーポッターシリーズ。

 

私は何度も観ているけれど、娘ふたりが見たいというのでhuluで観始めた。

 

8歳の娘はこうした少しダークな世界観が好きで、小さい頃から、アダムスファミリーなどの少し不気味なものを好んで観る。ハリーポッターも大好きになったんだそう。次は、ロードオブザリングかな(笑)ハリーポッターは決して8歳の子どもに分かりやすい内容ではないけれど、意外としっかりそれぞれの関係性や裏で何が起こっているのかなどをしっかり捉え観ているのが感心する。分からないところについては、観終わると、細かくきいてきて、どうやっても理解したいみたい(笑)

 

途中、私は戦線離脱したけれど、シリーズ最終話だけは観たいと最後だけ参戦した。

 

そこには、今の私に必要なメッセージがあり、

 

ダンブルドアが放ったその言葉だけが、ただ、映画を観ているだけなのに、強烈に残った。

 

今回に限らず、こうした場面をこれまでもたくさん経験してきたが、

 

テレビだったり、漫画だったり、小説だったり、映画だったり、

家族が意図せず放った言葉だったり、

 

自分に必要なメッセージはその部分が明確に太文字になって、身体にどーんと入ってくる。

 

毎回面白いなと思うとともに、今回のように私が進む道が見えなくなることが分かっていて、このタイミングにきちんとぶつけてくるために、2週間前からハリーポッターを観たくなり観るとか、完璧なシナリオだなと思う。

 

様々な角度から用意されるシナリオに毎回感心する。

 

私の人生も、みんなの人生も、自分が主人公のドラマ(シナリオ)。

 

ひとりで生きているかのようで、たくさんの構成員で創り上げられているドラマ。

 

最近は、でき試合に感じてしまう節はあるけれど、それもまあ、ドラマに入り込まず、ドラマを楽しめるエッセンスとして、有難く思う。

 

 

読書熱とデッサンと私(笑)

 

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無秩序・不調和な世界設定が変わると、自分の中の羅針盤が一気に狂ったように

 

何を大事に生きればよいのか、進む方向が分からなくなった。

 

それだけ、私は、この根底設定から積み上げた意識体勢の中で生きていたことを知る。

 

 

掃除や料理、何千回とやってきただろうから分かっているはずが、根底設定が変わり、生き損じないようにと張り巡らされていた意識が溶けると、

 

 

いつもだったらすんなり片付けられるものも、冷蔵庫の中の材料でパパっと思いつく料理も、びっくりするくらい、頭が働かず動けない。

 

30分程度で終わるものも、ダラダラとやってしまう。。。。

 

根底が緩むと、こんなにも表層の意識や行動に影響が出るのか、と(汗)。

 

だからと言って、困ることは悲しいかな何一つ発生しない。

 

料理が思いつかず、卵とベーコンを焼いただけ、納豆と明太子をおかずにした夕飯も子どもたちは喜んで食べた。

 

身体が自由に動けない感覚で横になっていると、子どもたちや夫が協力して物事は問題なく進んでいく。

 

ママ塾も、娘の近くに居なくても、娘は自分で予定を立て、時間を測りながら学習を進めている。分からないところだけ、寝室で横になっている私のところに来て、確認して戻っていく。

 

 

部屋がきれい完ぺきではないし、料理も手が込んではいないけれど、

 

これで十分進んでいく。

 

整い切れていないズレ感に多少の気持ち悪さが残るけれど、

 

それはこの全体性から見るならば、許容するところなのだろう、と

 

家族の平和さを観察しながら思う。

 

今までの私、ご苦労様。本当に「コントロール」を終える時が来たのだなと思う。

 

 

一方で、急に本が読みたくなり、息子と一緒に有名な本もいくつか読む約束をした。

 

 

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前回の記事で向き合った、国語。

 

学生時代の苦手意識は、実際向き合ってみると、昔の記憶にすぎないと分かった。

 

すらすらと読め、娘の国語の問題はどれも超簡単だと思えた。

 

教科書のヘルマンヘッセの小説の一部を読み、中学時代、

 

ヘルマンヘッセ「車輪の下

 

ヘミングウェイ老人と海

 

などトライするものの、冒頭で撃沈し、私はこういう本は読めないのだなと思ったことを思い出して、

 

 

今だったら読めるかもしれない、と思ったし、

 

教科書の小説を読みながら、暗い世界観の中に人間の細やかな心理が描かれていて面白いと感じ、その時代特有の世界観などを感じてみたいと思うようになった。

 

 

息子も読書熱が高く、今は村上春樹の「ノルウェーの森」を読んでいる。上巻が終わろうとしているらしいが、まだどのあたりが面白いのか見出してないとのこと(笑)

 

ヘルマンヘッセなどのノーベル賞を取るくらい、多くの人の琴線にふれるような作品を読み、どのあたりがそう感じさせるのか、人間心理として分析したいねという話になり、今日息子が図書館から10冊ほど彼目線で選んで持ち帰ってくる約束をした。

 

 

これまでの人生、国語への苦手意識が半端なく、本などほぼ読まずに来た(;'∀')

 

そんな私だけれども、山崎豊子さんの本だけは、虜になった。

 

二つの祖国

不毛地帯

 

などは、作品そのものも素晴らしいが、こんなものを生み出せる人間の力に言葉が出なくなる。

 

久しぶりに、本という角度を使って、人間の生み出す力の素晴らしさを感じてみたいなと思う。

 

 

 

これまでの基盤が崩れ去り、あたらなものを構築していくフェーズ。

 

まだ進む道は捉えられていないけれど、緩めるところは緩め、一方で、追求したいモノはより明確になった。

 

物事(世界)をただそのまま(中庸)に捉える。

 

デッサンはまさにその典型。

試行錯誤したが、比率はだいたいこんなものだろう。注ぎ口の形が納得できないけれど、あとは絵画教室の先生により捉えやすくする方法を聴こう。

 

最初の形がしっかり捉えてないと、そのあとの陰影をつけたり、書き込みしていく作業プロセスが何だか負け試合をしている気になり、一気にやる気がなくなってしまう性格(笑)。ズレている(くるっている)と分かっていて、そのままにはどうしてもできないし、なんたって気持ちが悪い。ズレ感は私が特別嫌いな感覚のひとつ。

一般的に画用紙にあたりをつけたり、なんとなくの形どりにこんなに時間はかけないだろうけれど、私は趣味としてやっているので、自分の納得するやり方で進めたい。

 

 

そのものをそのままに描くって難しい。

 

物事を中庸に観る、

 

どこまでも奥が深い。

 

自分の中の「不安になる」パターンを知る

 

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根底の「無秩序、不調和な世界設定」が変わると、もう不要なものとして2つの

エネルギーが一気に表面化。

 

 

ひとつは、見えない領域に対する恨みと怒り。

 

まだある?と思えるけれど、このエネルギーの統合は簡単ではなく、やってもやっても深くまで在る😢

 

これは「神様との仲直り」シリーズ(笑)でずっと向き合ってきたもの。3年前はスーパーサイヤ人並みに、自分の押し留められないほどの怒りだったが、ずっと向き合い、一層一層統合を進めてきた。だけど、今回の根底設定変更で、一気に残りのエネルギーが表面化し、2日ほどスーパーサイヤ人並みに怒りと恨みの中にいた。彼らの根底のエネルギーもまた「この世を生きるのは苦しい辛い怖い」、から派生するものだった。ただ、根底の設定が変わったからこそ、今回ものすごいエネルギーで出てきてくれた。それらも出尽くしたあと、

 

 

次に表面化したのは、

自分の不安になるパターンの炙り出し&自分の「不安」の扱い方を知る流れが。

 

週末、絵画教室にて新たなモチーフのデッサンを始めたのだが、

 

直火式エスプレッソメーカーを描こうにも、

 

脳がその複雑さをとらえきれず、試行錯誤するも、歪みが半端なく、2時間かけて、結局白紙に戻った(苦笑)。

 

ただ目の前にあるものを描くだけなのに、どのように捉えると正確に書けるか、頭の中がブラックボックス状態になるのだ。

 

日常生活では、ほぼ不安など感じることなどないのだけれど、手も足もでないその状態に珍しく不安と焦りを感じた。

 

同じく、娘に勉強で国語を教えるに当たり、私自身も学生時代国語が大の苦手だったこともあり、抵抗感が半端なく、デッサンと同じく、教える前から頭の中がブラックボックス状態に。

 

 

同じ日にこの2つのブラックボックス状態を経験し、自分が不安になるパターンを見つけた。

 

要は、解決方法が自分の中にない時や解決の見通しが立たないときに不安になるのだけれど、

 

上記どちらも解決方法を見出すことによって、その不安は一瞬でなくなった。

 

 

2時間かけても何も捉えられなかったデッサンは、帰り際講師の方に、

 

縦に長い四角柱→円柱→比率→角度→細かく書き込み

 

の順で描いてみては?とアドバイスもらって、家で書いてみると、1時間でかけた(さっきまであんなにどう描いていいか分からなかったのに)。

 

もう1枚次の日にトライすると、30分で描けた。

 

 

どちらも実態と比べ、比率などがいまいちなので、もう一度書き直す予定だけれど(笑)目で測るこの感覚を上げる必要がある。

 

 

要は、捉え方さえ入手すれば、不安が不安ではなくなるということ。

 

 

国語に関しても、一旦抵抗感は横に置いて、一先ず、教科書の今回のテスト範囲を全部読むと、内容が大きく2つに分けられ(文章読解と文法)、さらに細分化して、情報の体系立てができた。自分の中で何があいまい(わかってないか)かが分かれば、あとはその理解があいまいな箇所をネットで調べることができ、すぐに解決した。

 

 

…上記2点のように、今後不安(ブラックボックス)が出てきたとしても、その解決法方さえ分かれば、何も怖いものがないという事。

 

要は不安を恐れるのではなく、「解決方法を見つけること」にフォーカスを当てることで、この世界は怖いは、意外と簡単に昇華させられるという事。

 

ということで、根底意識が変わり、またフォーカスする確度を変えることで、とりあえず、またこれまでとは違う感覚でこの世界を楽しむことができるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無秩序、不調和な世界設定を終える

 

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本記事は、上記の続きです。

 

日常生活では大きく感じることはないけれど、

意識の深い深いところに「生きることの不安」が自分の中にあることを自覚し、

 

ライトランゲージでアクセスすると、さらにもっと深い層へのアクセス許可が下り、

 

「この世は無秩序な世界。いろんな価値感や感覚が存在し、いろんなものが入り乱れた、侵し侵されるのは常。正解(正しさ)があるようで正解(正しさ)がない世界。」

 

のような根底世界設定を「数千年規模」で楽しんできたらしい。

不思議と、鼻で笑ってしまった。

 

ずっとアクセスしたくても、かすったり、薄皮を剥くようにしかアクセス統合で来てなかった領域のコアに今回アクセスを許された。

 

変更したい世界を感じてみるものの、愛の世界、幸せな世界・・・しっくりこない。

 

今までマイナスだったから、苦しんできたから、恐れてきたから、じゃあプラスに、、、という感覚では不思議とない。

 

言葉として出てきたのは、中庸な世界。エネルギー的原点に戻った世界。

 

とだけ、オーダーしてみた。なぜそんなオーダーをしたのか、頭の先では分かっていない。だけど、内から出てきた言葉はこれだった。

 

私の意図を聞き入れ、そのように統合、設定、再プログラミングが始まる。

 

果たして今後そのように感覚が変化するかじっくり見ていこうと思う。

 

何だか、もういろんなものが自分の意思を超えて動き出している感じがする。

 

私の中の人間意識が白旗上げて降参している。

コントロール意識が日に日に薄まり、何でも良い気になっている(笑)

 

 

 

 

 

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