毎日、1日の中でいろな角度から一気に表れる現実を通して、内観する日々。
最近あった一日を一つの事例として記しておこうと思う。
・朝から息子の中学校の担任から電話が。息子が朝礼の時間になっても学校に来ていないと。遅刻扱いになりますがご了承くださいとの話だった。息子は隣駅近くの中学にいくのに、電車を利用しており、毎朝、電車で行ってギリギリの時間に着く想定で家を出ていた。その日は家を出た直後定期券が見つからず、仕方なく、走っていったようで当然遅刻となった。帰ってきた息子にその話を聴き、呆れと怒りが。私たちの住む地域は公立でも高校受験における内申点評価の割合が大きく、日頃生活態度に気をつけているが、たった一度の遅刻で大きく減点される。息子が行きたい高校を目指し日々頑張っているのを知っているからこそ、彼の準備不足や見通しの甘さにイラっとした。
・数カ月前から、本気で勉強に向き合いたいというので、(でも力不足なので力を貸してほしいという娘からの依頼を受け)、毎晩ママ塾を開講し、スケジュールや講義、進捗管理を担っています。おいおい慣れてきたら(本人がやり方や管理の仕方が分かってきたら)それらを移管してくつもり。現在期末テスト準備期間に入りました。この2週間ほど、おそらくこの範囲までだろうと多めに見積もっていた見通しが外れ、年度末期末試験ということもあり想定よりもずっと範囲が広いことが判明。学校から帰ってきた娘からそれを聞き、私の中で、一気に出てくる苛立ちと焦り。いつ何をどこまでやるのか、間に合うのか、どんな組み立てに落とし込むか、娘から範囲の話を聴いた瞬間から、それらが一気に頭を駆け巡る(笑)
・最近水槽に入れた海水魚の一種パープルクイーン。購入前の調べが甘く、海水魚飼育上級者向けのパープルクイーン、餌付けに大苦戦。夫が出張のため、世話を任され、どんなにお腹が空いていても食べない、食べても彼らの本来の生息地の環境とは異なる食べ方の環境のため、数粒口にするのがやっと。それを観て、うまく餌付けが進まないジレンマ、苛立ちに似た怒りが湧いてくる。「生きる力が弱すぎる!(怒)」、と。
一方で、穏やかな性格だとネットで調べ、購入したロクセンヤッコは、個体差なのか、超ビビりで神経質、周りを威嚇し、自分のテリトリーにほかの魚が入ろうものなら、どこまでも追い回し、しかもそのテリトリーをどんどん拡大させ、平和だった水槽が一気に殺気立ち、しまいには本人がストレスで病気に。自分の神経質さや小心者さを外にぶつけ、自分も病気になり、只今薬浴隔離中。こいつは何がしたいのか、「どいつも生きるのが下手すぎる!!」、と心の声。
・我が家は5人家族で、食べ盛りの中学生が二人と大食いの夫がいるので、食材や日用品がすぐに減る。出不精の私にとっては買い物に行くのが億劫だけど、一方で少しでももの(特に食材)が減ると、不安になり、重たい腰を上げて外に出る。食材に関しては、今までもストレスに感じていたのに、急にスポットライトが当たったかのように、ああーーー私、少しでも食材が減ることに超ストレスに感じるのだなと、今になり超自覚するという(笑)
こうやって、心が触れた瞬間を俯瞰して捉え、記憶する。そこからの現実はあまり意味がなく、淡々とその場を終えていく(笑)
私の内観の傾向は、こうした角度が異なる事象のものが複数揃った段階で、深くまで内観する。もちろん、一つで分かればそれに越したことないが、内観の層が浅いと感じる場合は、他の事象が揃うのを待つ。それまでは、ドラマを観たり掃除したり、絵を描いたりして楽しく過ごす。
そして、ある程度揃った事象を俯瞰して眺め、深めていく。
今回のこれらはすべて「同じ大本」から来る表現型で、
その根底に在るものは、「生きることへの不安」
だからこそ、自分が自覚していなかったけれど、生きることに対して、ものすごく神経を張り巡らせて、うまくいくようにコントロール、ウォッチしている。時間や備品や、自分や家族が生き損じないように。
そのコントロールから外れると、イラっとしたり腹がったたり焦ったりする。
毎日平和だと思っていたけれど、これに気づき、これらをようやく終えられる時が来たのだなと理解するとともに、感謝や安堵が訪れる。
気づかなければ終えられない。
でも気づいてしまえば、もう辞めるだけだ(笑)。
「生きる不安」
「できるだけ不幸になる度合いを下げ、生き損じることなく生きることへの執着」と表現しても良い。
それらにアクセスして統合させていく。
私、よく今まで頑張ってきた。
私の魂の仲間たちよ、よく生き抜いてきた。頑張ってきた。
これらの想念があったからこそ、たくさんの経験や叡智、スキルを手に入れた。
それらは、もしもの時に十分活躍してくれる。だけど、もしもではない時は休んでもらい、柔らかく見守ってもらおうと思う。
そんなに気を張っていなくても、十分守られている世界の中に既にいる(笑)。
食べものが底をつこうが、40m先にスーパーもコンビニもある(笑)出前もある。宅配もある(笑)私が買いにいかずとも、子どもたちだって買いに行ける。
書きながら、こんなにも安心が揃っているにもかかわらず、生きることへの恐れを持っていた、とはそれだけ内側のエネルギーの大きさを改めて思う。
これからは必要以上に気負わず、手放して楽に生きていこう。
みんなでそれぞれに称賛を送りながら、みんなで次のステージに行きたいと思う。