週末夫と息子が静岡伊豆に釣りに行き、水槽に新たな仲間が加わりました。
水槽に入れるには明らかに大きすぎるイサキ。
漁師の網に掛かったことがあるのかなと思うくらい、体の片面や背ビレなど古い傷跡が多数。
見慣れたフグちゃんと異なり、大きさもあるのかもしれないが、目がぎょろっと大きくて、吸い込まれそう(笑)
今朝は午前半休をとった夫とゆっくりコーヒーを飲みながら水槽を眺めながらおしゃべりしていると、
私:魚は瞼がないからずっと目を開いた状態でしょう、眠たくっても、
外部が明るいと常に目に光が入って寝れないだろうね。
夫:海の中は外敵だらけだろうから、寝ているって言っても、常に目を後ろや前に動かしながらだろうからね。
私:夜も、ってことでしょう、私だったらそんなのはいやだな~
という、なんとも身のない話。
そうこうしているうちに、掃除だ洗濯だと動き始めたら、
夫が水槽の裏を見て、焦っている。
「水が漏れている~!!涙」と。
数日前、UVランプの中身を変え、その時のホースとの連携部分がしっかり密着していなかったのか、床まで海水が・・・。
ベランダで洗濯物を干しながら、強い怒りが。
あ~あ、床が腐る。。。と言いながら、内側に触れる何かがある。
これは、あとでしっかり見るべきものだなと思いながら、
その場は夫に任せ、淡々と家事を済ます。
そのうちに怒りは消え、クリーニングに行きスーパーに行き、
一緒に早めのお昼を食べている間は、いつも通り仲良く過ごす。
夫を見送り内観タイム。
さっきなぜ怒ったの?と言いながら、今朝息子に対しても無性に腹が立ったことを思い出す。
これらは共通案件だということだな。
そうすると、
「詰めが甘い、甘すぎる」「事があってからでは遅い」「何でも適当で、何とかなると思いすぎる」「やれる範囲ではしっかり準備したり、対策を講じたり、それでもうまくいかないものは仕方ないけれど、こちらでやれる範囲では抜かりなくやっておくべき」「好きなことだけは頑張って、そうでないものは手を抜きすぎる」「ちゃんとバランスよく在るべき、バランスよく準備対応できるようにしておくべき」
聴きながら、苦しい(笑)
今朝の息子しかり、夫しかり、今に始まったことじゃないし、何なら彼らにとってはそっちの方が通常運転、今までそのあたりに何も(心に)触れなかったのに、今日はどうして?
と質問した時に、「あ、そこを観に行くってことか(いつもとは違う何かがアクセスしているということか)」と気づく(笑)。
その意識にアクセスすると、
集合体とのアクセスで、
生きることが今よりずっと大変だった時代を生きた人たちの
線を張り詰めたような緊張状態、生きることに必死で、日々の様々なものが
自分や愛する人たちの、生き死にダイレクトに紐づいていた苦しさ、
彼らの声を発するだけで、自然と涙が流れる。
ひとしきり涙を流し、彼らの声が落ち着くまで発し続けると、
「安らいで生きたい」「安心安全な空間に身を置きたい」
という声に到達。
するとライトランゲージで、癒しが始まり、
両足全体、第一チャクラ・第二チャクラからエネルギーがサーーーーと昇華していく。
それを俯瞰して見ながら、魂の仲間たちが安らぎの中に還ることができて本当に
良かった~。
そうして、朝はでっかい体でこんな狭い水槽に入れられたイサキちゃんを
なんて可哀そうだと思ったけれど、
ふと見ると、無防備に、ずーーーーと寝ていて、(もちろん目を開けて、瞼がないけれど)近くに好奇心旺盛な性格のフグが来ようが突っつこうが無反応で寝ているwww
数週間後、海に戻るまでの間はしばらく水槽の中でゆっくり安らげるといいね、という感覚になりました。
実際イサキちゃんがどう思うのかはわかりませんが、今朝までは全くその感覚がなかったので、こうも観る、感じる世界がかわるとは(笑)
今日は、知り合いに「久しぶりに琴線に触れる素晴らしい漫画だよと」お薦めされた「メタモルフォーゼの縁側」という漫画を読みたいと思います。メルカリで安く、そして全巻買い、先ほど届いたばかり。楽しみです。