子どもたちの学年末テストも今日で最終日。
娘と一緒に勉強を始めて、約1カ月半。
後半、娘が自走できるようになり、あまり関与することはなかったものの、
正直、疲れました。
昨日は、あんなに勉強した歴史と数学のテスト日。帰ってきてテスト問題を見せてもらうと、
まさかこんなところで、間違う?!という基礎の基礎からできておらず、
できるだけ平常心で聴こうと思って顔だけは頑張って作っているけれど(笑)、はらわた煮えくりかえる。
これもできていない、これもできていない、これも間違った、これも問題をしっかり読んでなかった…と言われるたびに、なぜかめちゃめちゃボディーブローのように、一つ一つが重く打ち込まれ、最後は立ち上がれなくなりました、私が。
娘曰く、
テストが始まると、平常心じゃいられなくなり、地に足がつかない感覚になる。
勉強してもしても、不思議と2~3日経つと、記憶が遠くなり、分からなくなる。
その時はすごく分かっているのに、3日後はうっすらやったかも?と思うくらいの薄さになる…。
彼女がその話をしているときに、彼女の中に勉強をするのを妨げようとする大きなエネルギーが在ることに気づきました。(これについてはまた別で書き残します)
今日書きたいのは、私の中にある、彼女とのこれら1カ月半の歩みで明確になったこと、
私の中に「後退することへの半端ない拒絶感がある」ということ。
自分でもその半端ないエネルギーにびっくりしました(笑)
自分の事ならば、いくらでも無理したり努力したりして、後退なんかさせる隙なんて絶対作らない(笑)けれど、他者(娘)を通して、私の中にそれだけは絶対受け入れられないというエネルギーを持ち合わせていることに気づきました。
私はどんな時もやると決めたら猪突猛進だし、どんなに苦境に立たされたって逃げるという選択肢すら出てこない。
それらは今まで私を成長させ、様々なスキルを獲得させるうえで、ものすごい後押しになったけれど、
娘を通して気づかせてもらったその持ち物をもう終える時が来たのだなと思いました。
なんなら、「後退する」だけではなく、「進まない」も超嫌い!
そう思うと、前進しか許されないその世界にずっと自分を入れてよく頑張ってきたな、と。
想像するだけで、苦しいやんかーーーー(笑)!
全体を俯瞰して眺めながら、進まないときだって、時には大きく後退するときだってあって良いのだ。それくらいの遊び、余裕、赦しを自分に与え、もっと柔らかな世界に行こうと決めました。今回、娘とのこのテストジャーニーがなかったら気づけなかった。
今回のことで、国語も英語も数学も、基礎の基礎からやり直すことにしました。
漢字を覚え、言葉の意味を丁寧に調べ、数学の単純な計算から難しい計算問題をひたすらとき、盤石な基盤を作ろうと提案すると娘は私もそれが良いと思っていた、と。
後退は、負けや弱さではなく、より高くジャンプしていくために必要なステップ。
「後退する」とだけ聞いて恐れていたその感覚が柔らかく解けていく。
なんでそんなに、カチカチに縛っていたんだろう(笑)
後退も必要ならばやろうじゃないか(笑)、潔く(笑)どんとこいだ!