多次元世界を探求する

自分の宇宙は自分の中に内在する。意識変容の先は多次元空間が存在していた。8年間内観しずっと自分の奥を掘っていったら、3年前に堰を切ったようにライトランゲージが口から発さられ、さらにその奥の多次元領域にアクセスできる鍵を受け取った。現実と多次元領域の連動を楽しく研究する日々。

「微塵も不快な思いをしたくない」を癒す

先日、大調和な世界を探求したいと宣言したからか、

(いや、そのまえから来ていて気づいてたけれど、スルーしてたというのが正確か。)

 

collectingmyself.hatenablog.com

 

面白い現象が起きている。

 

 

至る所で、不快な思いをすることに(笑)。もうスルーさせんぞ、ばりに。

 

 

具体的には、

 

めちゃめちゃ配慮に欠けるひとに出会う。

 

ちょっとどころではなく、明らかに「こいつなんなの?!」レベルばかり(;'∀')

 

必要以上にデフォルトされた形に、一方で笑える。

 

スーパーでも調剤薬局でも、SNSでのやり取りでも、近所の知り合いでも

 

なんだ?!と思うくらい(笑)

 

 

一方で、「そーだよねーそこだよねー」と分かっている自分もいる(;'∀')。

 

 

正直に言うと、私は「配慮に欠けるひと、気遣いができない人」が大っ嫌い。

 

表面の言葉は配慮してます的でも、実際の行動ややりとりが、

もろ自分の意向>相手への配慮・気遣い

の人がいる。接すると一瞬でわかるし、一瞬で心が冷める。。。

 

平気で人に庭にガツガツ入ってくる、自分の意向を優先し、相手にも大事にしたい領域や最適な距離感があることを見失うひととか、一瞬で関係を断ち切りたい衝動に駆られる。

 

 

と今までは、実際に「さよなら」してきた。

 

は~。。。

 

そして、ここにきて、これを整えるのだなと頭は分かる、けれど、心は抵抗する(笑)。

 

 

だって、めちゃめちゃ嫌いだから!!

 

 

分かっていながら数時間別のことで気を紛らわしていたら、首や頭まで痛くなってきて、いよいよやるしかないと心を決め、向き合う。

 

向き合う前にカードを引いたら、

 


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【制限を越える】。日頃あまり出ないカード。このタイミングで見事と言うしかない(^_^;)

 

今回は、PCに打ち込みながら内観するのが良いと判断。

 

頭だけだと、すぐに放棄しそうになるから(笑)

 

 

 

内観してまずあったのは、

 

 

「配慮がないやつガツガツ人の庭に入ってくるやつ=だいたい危険、自らその危険なエネルギーを対応対処できないやつが多く、こちらに危険球が飛んできやすい、付き合うと面倒、めんどくさい事態に巻き込まれる、また不快な思いにさせられるだけ」「配慮がないこと=悪」

 

という概念を持ち合わせ、ものすごくそれらの現象に過敏に反応している状態(笑)。

 

 

そこから降りてきた言葉をあえて整理せずそのまま書くと、

 

「配慮とは、心の余裕があるからできることでもある。配慮がない人は、相手を思いやる「余裕、余白、空間」がない。言い方を変えるならば、PCでいうところの容量やシステムの関係で、そうした領域を保持していない、もしくはそうした信号さえ持ち合わせていないこともある。自分の世界・自分のエネルギー処理で容量いっぱい、もしくはそれで良しとしている。人それぞれ、抱えているエネルギー量も、エネルギー処理能力も処理量も異なる。それなのに、相手に一様に「配慮することを課すこと」は、大調和な世界には必要なのか?」

 

 

私「必要ない。」

 

 

「それでは、その配慮できない=悪・害としている概念を終え、良い悪いで判断することではない、その人のエネルギーがただそういう状態なのだと理解し、受容すること。余裕のあるないだけではなく、そもそも、その人の概念にさえ、相手への配慮という概念が存在しない場合もあります。人をジャッジしない。その一瞬の状態をその人全体として捉えジャッジしない。あなたも怒りが止められない時があるように、人には瞬間的にコントロールできないエネルギー状態になることがある。これ自体悪いものではない。それを害とみなすそのフィルターこそが害。あなたが必要以上に相手に配慮という形での概念を持つことを強要していることに、相手のエネルギーを求めすぎていることに気づきましょう。」

 

 

 

ぐうの音も出ません。。。

 

でも嫌いなものは嫌いです!と抵抗が収まらないので、そういうときはさらに奥に見に行くものがあるという事。

 

なぜそうした概念を私は採用してきたのか、を自分に聴くと、

 

 

 

微塵も不快になりたくない

微塵も傷つきたくない

微塵も人と衝突したくない

微塵も相手のネガティブなエネルギーを受け取りたくない

相手のものまで処理しなきゃいけないのは正直めんどくさい

もうこれ以上生きる上で不快さや重たいエネルギーに触れたくない

 

 

なるほどなぁ~、そこか~。

 

ということで、その声にもっとアクセスすることに。

 

 

どこか特定の並行世界にアクセスするのではなく、

第一第二チャクラを中心に、浄化のエネルギー変容が起こる。

 

エネルギー変化を観察していると、いろいろな声が聴こえてくる

 

「人に振り回される生き方はもうしたくない」

「なんで私がそんなことまで…」

「もう、嫌だ」

「自分の意向を押し付けてくるやつが嫌い」

「自分の意のままにするやつが許せない」

「人を道具のように、切り捨て自分の欲望を満たすやつが嫌い」

「そんなやつは駆逐されてしまえばよい」

「この世界を乱すやつはこの世からなくなればよい」

 

どこの誰の声かは分からない。

私の今生の話ではないのだけは確か。

 

配慮そこらの話ではなくなっている(笑)

 

そっか、そんな想いがずっと奥に押し込められていたのかと。

 

どんどん抜けていくそれらの声を観察していると、エネルギー調整が第三チャクラ、第四チャクラ、と、最後は第八チャクラまでゆっくりと時間をかけて上に調整されていく。頭や首の痛みも一緒に消えた。

 

 

結局2時間近くかかり終了。

 

さっきまで現実の中にどっぷりはまり、

 

配慮がないやつは嫌い!とか言っていたのに、

 

ちょっとその記憶がもう遠い。

 

今朝は全く体が動かず、掃除機もかけず、茶碗も洗わずシンクから溢れんばかり、お風呂掃除もトイレ掃除もせず、唯一洗濯物だけ干しただけだったけれど、調整が終わったら、一気に動ける体に。30分ですべて掃除完了。

 

 

実際、配慮がないやつは好きか嫌いかでいうならば、嫌いだけれど、

 

今朝あった、その下にあるドロドロしたものは感じに行ってもない。

 

ただ、シンプルに嫌い、だけが残った(笑)

 

そのシンプルに嫌いはその枠にはまったドロドロな嫌いではなく、

 

俯瞰して見える位置からの嫌いに変化し、

 

おそらく今までのようには、強く反応しないのではないかと思う。

 

これに関しては、検証して再度報告したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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