2週間前から見始めたハリーポッターシリーズ。
私は何度も観ているけれど、娘ふたりが見たいというのでhuluで観始めた。
8歳の娘はこうした少しダークな世界観が好きで、小さい頃から、アダムスファミリーなどの少し不気味なものを好んで観る。ハリーポッターも大好きになったんだそう。次は、ロードオブザリングかな(笑)ハリーポッターは決して8歳の子どもに分かりやすい内容ではないけれど、意外としっかりそれぞれの関係性や裏で何が起こっているのかなどをしっかり捉え観ているのが感心する。分からないところについては、観終わると、細かくきいてきて、どうやっても理解したいみたい(笑)
途中、私は戦線離脱したけれど、シリーズ最終話だけは観たいと最後だけ参戦した。
そこには、今の私に必要なメッセージがあり、
ダンブルドアが放ったその言葉だけが、ただ、映画を観ているだけなのに、強烈に残った。
今回に限らず、こうした場面をこれまでもたくさん経験してきたが、
テレビだったり、漫画だったり、小説だったり、映画だったり、
家族が意図せず放った言葉だったり、
自分に必要なメッセージはその部分が明確に太文字になって、身体にどーんと入ってくる。
毎回面白いなと思うとともに、今回のように私が進む道が見えなくなることが分かっていて、このタイミングにきちんとぶつけてくるために、2週間前からハリーポッターを観たくなり観るとか、完璧なシナリオだなと思う。
様々な角度から用意されるシナリオに毎回感心する。
私の人生も、みんなの人生も、自分が主人公のドラマ(シナリオ)。
ひとりで生きているかのようで、たくさんの構成員で創り上げられているドラマ。
最近は、でき試合に感じてしまう節はあるけれど、それもまあ、ドラマに入り込まず、ドラマを楽しめるエッセンスとして、有難く思う。