多次元世界を探求する

自分の宇宙は自分の中に内在する。意識変容の先は多次元空間が存在していた。8年間内観しずっと自分の奥を掘っていったら、3年前に堰を切ったようにライトランゲージが口から発さられ、さらにその奥の多次元領域にアクセスできる鍵を受け取った。現実と多次元領域の連動を楽しく研究する日々。

読書熱とデッサンと私(笑)

 

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無秩序・不調和な世界設定が変わると、自分の中の羅針盤が一気に狂ったように

 

何を大事に生きればよいのか、進む方向が分からなくなった。

 

それだけ、私は、この根底設定から積み上げた意識体勢の中で生きていたことを知る。

 

 

掃除や料理、何千回とやってきただろうから分かっているはずが、根底設定が変わり、生き損じないようにと張り巡らされていた意識が溶けると、

 

 

いつもだったらすんなり片付けられるものも、冷蔵庫の中の材料でパパっと思いつく料理も、びっくりするくらい、頭が働かず動けない。

 

30分程度で終わるものも、ダラダラとやってしまう。。。。

 

根底が緩むと、こんなにも表層の意識や行動に影響が出るのか、と(汗)。

 

だからと言って、困ることは悲しいかな何一つ発生しない。

 

料理が思いつかず、卵とベーコンを焼いただけ、納豆と明太子をおかずにした夕飯も子どもたちは喜んで食べた。

 

身体が自由に動けない感覚で横になっていると、子どもたちや夫が協力して物事は問題なく進んでいく。

 

ママ塾も、娘の近くに居なくても、娘は自分で予定を立て、時間を測りながら学習を進めている。分からないところだけ、寝室で横になっている私のところに来て、確認して戻っていく。

 

 

部屋がきれい完ぺきではないし、料理も手が込んではいないけれど、

 

これで十分進んでいく。

 

整い切れていないズレ感に多少の気持ち悪さが残るけれど、

 

それはこの全体性から見るならば、許容するところなのだろう、と

 

家族の平和さを観察しながら思う。

 

今までの私、ご苦労様。本当に「コントロール」を終える時が来たのだなと思う。

 

 

一方で、急に本が読みたくなり、息子と一緒に有名な本もいくつか読む約束をした。

 

 

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前回の記事で向き合った、国語。

 

学生時代の苦手意識は、実際向き合ってみると、昔の記憶にすぎないと分かった。

 

すらすらと読め、娘の国語の問題はどれも超簡単だと思えた。

 

教科書のヘルマンヘッセの小説の一部を読み、中学時代、

 

ヘルマンヘッセ「車輪の下

 

ヘミングウェイ老人と海

 

などトライするものの、冒頭で撃沈し、私はこういう本は読めないのだなと思ったことを思い出して、

 

 

今だったら読めるかもしれない、と思ったし、

 

教科書の小説を読みながら、暗い世界観の中に人間の細やかな心理が描かれていて面白いと感じ、その時代特有の世界観などを感じてみたいと思うようになった。

 

 

息子も読書熱が高く、今は村上春樹の「ノルウェーの森」を読んでいる。上巻が終わろうとしているらしいが、まだどのあたりが面白いのか見出してないとのこと(笑)

 

ヘルマンヘッセなどのノーベル賞を取るくらい、多くの人の琴線にふれるような作品を読み、どのあたりがそう感じさせるのか、人間心理として分析したいねという話になり、今日息子が図書館から10冊ほど彼目線で選んで持ち帰ってくる約束をした。

 

 

これまでの人生、国語への苦手意識が半端なく、本などほぼ読まずに来た(;'∀')

 

そんな私だけれども、山崎豊子さんの本だけは、虜になった。

 

二つの祖国

不毛地帯

 

などは、作品そのものも素晴らしいが、こんなものを生み出せる人間の力に言葉が出なくなる。

 

久しぶりに、本という角度を使って、人間の生み出す力の素晴らしさを感じてみたいなと思う。

 

 

 

これまでの基盤が崩れ去り、あたらなものを構築していくフェーズ。

 

まだ進む道は捉えられていないけれど、緩めるところは緩め、一方で、追求したいモノはより明確になった。

 

物事(世界)をただそのまま(中庸)に捉える。

 

デッサンはまさにその典型。

試行錯誤したが、比率はだいたいこんなものだろう。注ぎ口の形が納得できないけれど、あとは絵画教室の先生により捉えやすくする方法を聴こう。

 

最初の形がしっかり捉えてないと、そのあとの陰影をつけたり、書き込みしていく作業プロセスが何だか負け試合をしている気になり、一気にやる気がなくなってしまう性格(笑)。ズレている(くるっている)と分かっていて、そのままにはどうしてもできないし、なんたって気持ちが悪い。ズレ感は私が特別嫌いな感覚のひとつ。

一般的に画用紙にあたりをつけたり、なんとなくの形どりにこんなに時間はかけないだろうけれど、私は趣味としてやっているので、自分の納得するやり方で進めたい。

 

 

そのものをそのままに描くって難しい。

 

物事を中庸に観る、

 

どこまでも奥が深い。

 

 

 

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