年末からずっと国内ドラマにハマっていて、ようやくひと段落して
今日は急に思い立ち、大掃除をしております。
夫と息子は元旦から二泊三日の釣りに出掛け、女子だけで年始3日をまったり、ぐーたら過ごすという至福の時間を過ごしました。
食べたいときに食べ、寝たいときに寝て、ただひたすら自分がやりたいことだけをやる。ドラマ三昧で気づいたら23時半。子どもたちと慌てて寝る、みたいな(笑)
この時期に国内ドラマを観るのも、年始早々の大地震、航空機事故なども私の中では繋がっていて、どれもが立ち位置を見つめ直す機会となりました。
被害にあわれた人の苦しみや辛さは想像を超えると思いますが、私個人も熊本地震を間接的に経験した身として、そして、日々目覚めの立ち位置を極める過程を進める身として、
いろんな想念を手放し、『どこに立っていることが大切なのか』をまったりした時間の中でも何度も何度も伝えられているようなそんな時間を過ごしています。
スピリチャルな情報を発信されている方の中には、これらの災害・事故などに対して浄化のエネルギーを送ろう、一斉ヒーリングを呼び掛けている方がいらっしゃいますが、個々の自由でありすべてOKだと思いますが、個人的にはその感覚がしっくりきません。
形が違うだけで、根本は(大小あれど)同じ不安や恐怖などといったエネルギーの存在を感じてしまうのです。
起こっていることは大変なことなのかもしれませんが、私は不思議と同じ感覚の中に入ることができず、最初はあまりにもドライな自分にこんなんじゃダメなんじゃないかと少し感じましたが、本当に立つべき場所は同じ感覚の中ではなく、その外の、どこなのだろうと模索中です。
人によっては、「心がない」と思う人がいるかもしれませんが、果たして、同じ感覚の中にいることが本当の意味で思いやりや愛が在ることなのか、私にはわかりません。
国内ドラマはどれも様々な感情を描いており、表面化させる感情もあれば、その奥に潜む感情、あえて表面化させない感情など、描写は様々。いわゆるネガティブな感情も本気で、心底「美しい」と思う自分がいます。これら細やかな感情は、人類が様々な経験体験からみんなで創り上げた「最高の叡智」であり、細やかな心の機微を掴めるこれらの感覚こそ、人類が持つ芸術作品(叡智)なのだと思います。
ネガティブな感情は一般的に良くないもの、できるだけ感じない方が良いものとされていますが、2023年様々な自身の想念を超えていった先には、どれもが愛おしく、素晴らしい、美しいものであるという見方に変わってきました。
いままでもグラデーションのように変わっていっていたけれど、最近は良い悪いの概念を超えた全部を包括し平たいものたち、という風に感じます(笑)わけわからん表現かとおもいますが(笑)うまく表現できませんm(__)m。
自分の中の根底概念が変わり、何が正しいのか、何のためにセッションをするのかなど、更なるリセットする時が来たのだなと思います。
未だにこれだ!というものを捉えてはいません。だけど、ガツガツ探そうという感覚もなく、日々、時が流れる中で、エッセンスが目の前に来たら一旦受け取って、最終的にそれらすべてのエッセンスを観て、分かる時が来るように感じていて、今はただ、あえて答え探しをせず、日常を眺めています。