多次元世界を探求する

自分の宇宙は自分の中に内在する。意識変容の先は多次元空間が存在していた。8年間内観しずっと自分の奥を掘っていったら、3年前に堰を切ったようにライトランゲージが口から発さられ、さらにその奥の多次元領域にアクセスできる鍵を受け取った。現実と多次元領域の連動を楽しく研究する日々。

確定申告

 

一昨年からfreeeという会計アプリを使っていて、2022年の確定申告は、紙→電子という新しいやり方に戸惑った。マイナンバーカードのPWの更新手続きを行っておらずで、使えず、市役所に行く羽目になったり、マイナポータルなどの電子申請に必要ないくつかのサイトとの連携なども必要で、昨年は正直、うんざりした。

 

今年は、前年度にすべて連携済み、住所などの細かな入力などは過去の記録を引き継いだりできるおかげで、やり始めて、20分ですべて終わった!

 

ブラボ―――!

 

こうしたシステムのおかげで、超楽に終わらせられることに感謝しかない。

 

個人事業主になってこの8年あまり。この確定申告作業に心がずーーーんと例年1月後半あたりから重くなっていたけれど、今年以降、それともおさらばできる。

 

ありがたや~。

 

そんなこんなで喜んでいるところに、先週ネットで注文したコーヒーメーカーが届いた。

 

コーヒーは今まで自分で作った陶器のフィルターとポットで手動?で丁寧に淹れていたけれど

 

朝、上の子ども達2人も飲むようになり、4人分淹れるのに朝バタバタするので

(夫の弁当作りと家族の朝ごはんを並行して作っていての、何度もコーヒーに湯を注ぐ作業が地味に堪える。)、コーヒーメーカーを購入した°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

 

すぐに洗って試運転。その後私のコーヒー一杯だけ入れてみたが、

 

(マグカップで1人分入れるのも可能)

 

普通に、超おいしい(笑)

 

ほっといて、うまい珈琲が飲めるなら、もうこれでいいじゃんって(笑)

 

出来たコーヒーを受けるポットが昔持っていたガラス製のものとは違い、今回はステンレスで、割れないように洗ったり扱ったりしなくてよいので、安心。

 

ということで、いろんな文明の利器を活用しながら

 

これからも楽に生きていきたい、と思います。(笑)

 

 

エネルギー統合後の変化

以前書いた領域にアクセスしそのエネルギー統合されると、現実は自然と変わっていき・・・

collectingmyself.hatenablog.com

 

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以前書いたものそれぞれの変化を紹介したいと思う。



・朝から息子の中学校の担任から電話が。息子が朝礼の時間になっても学校に来ていないと。遅刻扱いになりますがご了承くださいとの話だった。息子は隣駅近くの中学にいくのに、電車を利用しており、毎朝、電車で行ってギリギリの時間に着く想定で家を出ていた。その日は家を出た直後定期券が見つからず、仕方なく、走っていったようで当然遅刻となった。帰ってきた息子にその話を聴き、呆れと怒りが。私たちの住む地域は公立でも高校受験における内申点評価の割合が大きく、日頃生活態度に気をつけているが、たった一度の遅刻で大きく減点される。息子が行きたい高校を目指し日々頑張っているのを知っているからこそ、彼の準備不足や見通しの甘さにイラっとした。

 

→あの日以降、息子は自分でやばいとスイッチが入ったようで、今まで家を出ていたその10分前には家を出るようになった。今まではぎりぎりまでこたつの中にいたのに、今では朝私は家事をやっているので、彼がいつ学校に行ったのか気づかない時が多い(笑)。

 

・数カ月前から、本気で勉強に向き合いたいというので、(でも力不足なので力を貸してほしいという娘からの依頼を受け)、毎晩ママ塾を開講し、スケジュールや講義、進捗管理を担っています。おいおい慣れてきたら(本人がやり方や管理の仕方が分かってきたら)それらを移管してくつもり。現在期末テスト準備期間に入りました。この2週間ほど、おそらくこの範囲までだろうと多めに見積もっていた見通しが外れ、年度末期末試験ということもあり想定よりもずっと範囲が広いことが判明。学校から帰ってきた娘からそれを聞き、私の中で、一気に出てくる苛立ちと焦り。いつ何をどこまでやるのか、間に合うのか、どんな組み立てに落とし込むか、娘から範囲の話を聴いた瞬間から、それらが一気に頭を駆け巡る(笑)

 

→娘が主体的に勉強するようになり、私が彼女の勉強に関与する割合がぐっと減り、また彼女が自分の部屋で勉強するようになり、私はリビングで本を読んだり、ドラマを観たり、夫と大声で話したりできるようになり、生活スタイルが一気に元に戻った。関与の割合が減っているのに、彼女の主体性も理解度も意欲も上がっている。何も言うことがない(笑)。

 

 

・最近水槽に入れた海水魚の一種パープルクイーン。購入前の調べが甘く、海水魚飼育上級者向けのパープルクイーン、餌付けに大苦戦。夫が出張のため、世話を任され、どんなにお腹が空いていても食べない、食べても彼らの本来の生息地の環境とは異なる食べ方の環境のため、数粒口にするのがやっと。それを観て、うまく餌付けが進まないジレンマ、苛立ちに似た怒りが湧いてくる。「生きる力が弱すぎる!(怒)」、と。

 

→彼らが、魚卵だったらを食べれるかも?とネット記事で読み、夫と出掛けたスーパーで、破格の値段で大量の生のタラの卵が売られていて、それらを購入。卵をばらけさせ、塩水で洗い、水気を取って冷凍したら、2年分以上はある?と思うくらい、彼らの餌が準備できた(笑)それらを餌として与えると、驚くほど反応よくきれいに食べるように。最近では水槽に近づこうとすると、餌?と思って水面までみんな寄ってくるように。

 

 

一方で、穏やかな性格だとネットで調べ、購入したロクセンヤッコは、個体差なのか、超ビビりで神経質、周りを威嚇し、自分のテリトリーにほかの魚が入ろうものなら、どこまでも追い回し、しかもそのテリトリーをどんどん拡大させ、平和だった水槽が一気に殺気立ち、しまいには本人がストレスで病気に。自分の神経質さや小心者さを外にぶつけ、自分も病気になり、只今薬浴隔離中。こいつは何がしたいのか、「どいつも生きるのが下手すぎる!!」、と心の声。

 

→ロクセンヤッコは、あれからあまり威嚇をしなくなり、彼が発する警戒音(グルグル)を聞かなくなった。水槽に穏やかさが戻った。

 

・我が家は5人家族で、食べ盛りの中学生が二人と大食いの夫がいるので、食材や日用品がすぐに減る。出不精の私にとっては買い物に行くのが億劫だけど、一方で少しでももの(特に食材)が減ると、不安になり、重たい腰を上げて外に出る。食材に関しては、今までもストレスに感じていたのに、急にスポットライトが当たったかのように、ああーーー私、少しでも食材が減ることに超ストレスに感じるのだなと、今になり超自覚するという(笑)

 

→最近は友人とランチをしたり、絵画教室に行くなど、外出することが増え、その帰りにスーパーに寄るので、食材が減りストレスを感じる機会がぐっと減った、というより、感じることがなくなった。夫がいるときは夫がちょくちょく買い物行くかい?と誘ってくれ、車を出してくれるので、大量に買いだめすることもできたり。

 

 

のように、すっかり現実が心地よいほうへと変わってしまいました。

 

 

めでたしめでたし(笑)。

 

全ては目醒めの材料

2週間前から見始めたハリーポッターシリーズ。

 

私は何度も観ているけれど、娘ふたりが見たいというのでhuluで観始めた。

 

8歳の娘はこうした少しダークな世界観が好きで、小さい頃から、アダムスファミリーなどの少し不気味なものを好んで観る。ハリーポッターも大好きになったんだそう。次は、ロードオブザリングかな(笑)ハリーポッターは決して8歳の子どもに分かりやすい内容ではないけれど、意外としっかりそれぞれの関係性や裏で何が起こっているのかなどをしっかり捉え観ているのが感心する。分からないところについては、観終わると、細かくきいてきて、どうやっても理解したいみたい(笑)

 

途中、私は戦線離脱したけれど、シリーズ最終話だけは観たいと最後だけ参戦した。

 

そこには、今の私に必要なメッセージがあり、

 

ダンブルドアが放ったその言葉だけが、ただ、映画を観ているだけなのに、強烈に残った。

 

今回に限らず、こうした場面をこれまでもたくさん経験してきたが、

 

テレビだったり、漫画だったり、小説だったり、映画だったり、

家族が意図せず放った言葉だったり、

 

自分に必要なメッセージはその部分が明確に太文字になって、身体にどーんと入ってくる。

 

毎回面白いなと思うとともに、今回のように私が進む道が見えなくなることが分かっていて、このタイミングにきちんとぶつけてくるために、2週間前からハリーポッターを観たくなり観るとか、完璧なシナリオだなと思う。

 

様々な角度から用意されるシナリオに毎回感心する。

 

私の人生も、みんなの人生も、自分が主人公のドラマ(シナリオ)。

 

ひとりで生きているかのようで、たくさんの構成員で創り上げられているドラマ。

 

最近は、でき試合に感じてしまう節はあるけれど、それもまあ、ドラマに入り込まず、ドラマを楽しめるエッセンスとして、有難く思う。

 

 

読書熱とデッサンと私(笑)

 

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無秩序・不調和な世界設定が変わると、自分の中の羅針盤が一気に狂ったように

 

何を大事に生きればよいのか、進む方向が分からなくなった。

 

それだけ、私は、この根底設定から積み上げた意識体勢の中で生きていたことを知る。

 

 

掃除や料理、何千回とやってきただろうから分かっているはずが、根底設定が変わり、生き損じないようにと張り巡らされていた意識が溶けると、

 

 

いつもだったらすんなり片付けられるものも、冷蔵庫の中の材料でパパっと思いつく料理も、びっくりするくらい、頭が働かず動けない。

 

30分程度で終わるものも、ダラダラとやってしまう。。。。

 

根底が緩むと、こんなにも表層の意識や行動に影響が出るのか、と(汗)。

 

だからと言って、困ることは悲しいかな何一つ発生しない。

 

料理が思いつかず、卵とベーコンを焼いただけ、納豆と明太子をおかずにした夕飯も子どもたちは喜んで食べた。

 

身体が自由に動けない感覚で横になっていると、子どもたちや夫が協力して物事は問題なく進んでいく。

 

ママ塾も、娘の近くに居なくても、娘は自分で予定を立て、時間を測りながら学習を進めている。分からないところだけ、寝室で横になっている私のところに来て、確認して戻っていく。

 

 

部屋がきれい完ぺきではないし、料理も手が込んではいないけれど、

 

これで十分進んでいく。

 

整い切れていないズレ感に多少の気持ち悪さが残るけれど、

 

それはこの全体性から見るならば、許容するところなのだろう、と

 

家族の平和さを観察しながら思う。

 

今までの私、ご苦労様。本当に「コントロール」を終える時が来たのだなと思う。

 

 

一方で、急に本が読みたくなり、息子と一緒に有名な本もいくつか読む約束をした。

 

 

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前回の記事で向き合った、国語。

 

学生時代の苦手意識は、実際向き合ってみると、昔の記憶にすぎないと分かった。

 

すらすらと読め、娘の国語の問題はどれも超簡単だと思えた。

 

教科書のヘルマンヘッセの小説の一部を読み、中学時代、

 

ヘルマンヘッセ「車輪の下

 

ヘミングウェイ老人と海

 

などトライするものの、冒頭で撃沈し、私はこういう本は読めないのだなと思ったことを思い出して、

 

 

今だったら読めるかもしれない、と思ったし、

 

教科書の小説を読みながら、暗い世界観の中に人間の細やかな心理が描かれていて面白いと感じ、その時代特有の世界観などを感じてみたいと思うようになった。

 

 

息子も読書熱が高く、今は村上春樹の「ノルウェーの森」を読んでいる。上巻が終わろうとしているらしいが、まだどのあたりが面白いのか見出してないとのこと(笑)

 

ヘルマンヘッセなどのノーベル賞を取るくらい、多くの人の琴線にふれるような作品を読み、どのあたりがそう感じさせるのか、人間心理として分析したいねという話になり、今日息子が図書館から10冊ほど彼目線で選んで持ち帰ってくる約束をした。

 

 

これまでの人生、国語への苦手意識が半端なく、本などほぼ読まずに来た(;'∀')

 

そんな私だけれども、山崎豊子さんの本だけは、虜になった。

 

二つの祖国

不毛地帯

 

などは、作品そのものも素晴らしいが、こんなものを生み出せる人間の力に言葉が出なくなる。

 

久しぶりに、本という角度を使って、人間の生み出す力の素晴らしさを感じてみたいなと思う。

 

 

 

これまでの基盤が崩れ去り、あたらなものを構築していくフェーズ。

 

まだ進む道は捉えられていないけれど、緩めるところは緩め、一方で、追求したいモノはより明確になった。

 

物事(世界)をただそのまま(中庸)に捉える。

 

デッサンはまさにその典型。

試行錯誤したが、比率はだいたいこんなものだろう。注ぎ口の形が納得できないけれど、あとは絵画教室の先生により捉えやすくする方法を聴こう。

 

最初の形がしっかり捉えてないと、そのあとの陰影をつけたり、書き込みしていく作業プロセスが何だか負け試合をしている気になり、一気にやる気がなくなってしまう性格(笑)。ズレている(くるっている)と分かっていて、そのままにはどうしてもできないし、なんたって気持ちが悪い。ズレ感は私が特別嫌いな感覚のひとつ。

一般的に画用紙にあたりをつけたり、なんとなくの形どりにこんなに時間はかけないだろうけれど、私は趣味としてやっているので、自分の納得するやり方で進めたい。

 

 

そのものをそのままに描くって難しい。

 

物事を中庸に観る、

 

どこまでも奥が深い。

 

自分の中の「不安になる」パターンを知る

 

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根底の「無秩序、不調和な世界設定」が変わると、もう不要なものとして2つの

エネルギーが一気に表面化。

 

 

ひとつは、見えない領域に対する恨みと怒り。

 

まだある?と思えるけれど、このエネルギーの統合は簡単ではなく、やってもやっても深くまで在る😢

 

これは「神様との仲直り」シリーズ(笑)でずっと向き合ってきたもの。3年前はスーパーサイヤ人並みに、自分の押し留められないほどの怒りだったが、ずっと向き合い、一層一層統合を進めてきた。だけど、今回の根底設定変更で、一気に残りのエネルギーが表面化し、2日ほどスーパーサイヤ人並みに怒りと恨みの中にいた。彼らの根底のエネルギーもまた「この世を生きるのは苦しい辛い怖い」、から派生するものだった。ただ、根底の設定が変わったからこそ、今回ものすごいエネルギーで出てきてくれた。それらも出尽くしたあと、

 

 

次に表面化したのは、

自分の不安になるパターンの炙り出し&自分の「不安」の扱い方を知る流れが。

 

週末、絵画教室にて新たなモチーフのデッサンを始めたのだが、

 

直火式エスプレッソメーカーを描こうにも、

 

脳がその複雑さをとらえきれず、試行錯誤するも、歪みが半端なく、2時間かけて、結局白紙に戻った(苦笑)。

 

ただ目の前にあるものを描くだけなのに、どのように捉えると正確に書けるか、頭の中がブラックボックス状態になるのだ。

 

日常生活では、ほぼ不安など感じることなどないのだけれど、手も足もでないその状態に珍しく不安と焦りを感じた。

 

同じく、娘に勉強で国語を教えるに当たり、私自身も学生時代国語が大の苦手だったこともあり、抵抗感が半端なく、デッサンと同じく、教える前から頭の中がブラックボックス状態に。

 

 

同じ日にこの2つのブラックボックス状態を経験し、自分が不安になるパターンを見つけた。

 

要は、解決方法が自分の中にない時や解決の見通しが立たないときに不安になるのだけれど、

 

上記どちらも解決方法を見出すことによって、その不安は一瞬でなくなった。

 

 

2時間かけても何も捉えられなかったデッサンは、帰り際講師の方に、

 

縦に長い四角柱→円柱→比率→角度→細かく書き込み

 

の順で描いてみては?とアドバイスもらって、家で書いてみると、1時間でかけた(さっきまであんなにどう描いていいか分からなかったのに)。

 

もう1枚次の日にトライすると、30分で描けた。

 

 

どちらも実態と比べ、比率などがいまいちなので、もう一度書き直す予定だけれど(笑)目で測るこの感覚を上げる必要がある。

 

 

要は、捉え方さえ入手すれば、不安が不安ではなくなるということ。

 

 

国語に関しても、一旦抵抗感は横に置いて、一先ず、教科書の今回のテスト範囲を全部読むと、内容が大きく2つに分けられ(文章読解と文法)、さらに細分化して、情報の体系立てができた。自分の中で何があいまい(わかってないか)かが分かれば、あとはその理解があいまいな箇所をネットで調べることができ、すぐに解決した。

 

 

…上記2点のように、今後不安(ブラックボックス)が出てきたとしても、その解決法方さえ分かれば、何も怖いものがないという事。

 

要は不安を恐れるのではなく、「解決方法を見つけること」にフォーカスを当てることで、この世界は怖いは、意外と簡単に昇華させられるという事。

 

ということで、根底意識が変わり、またフォーカスする確度を変えることで、とりあえず、またこれまでとは違う感覚でこの世界を楽しむことができるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無秩序、不調和な世界設定を終える

 

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本記事は、上記の続きです。

 

日常生活では大きく感じることはないけれど、

意識の深い深いところに「生きることの不安」が自分の中にあることを自覚し、

 

ライトランゲージでアクセスすると、さらにもっと深い層へのアクセス許可が下り、

 

「この世は無秩序な世界。いろんな価値感や感覚が存在し、いろんなものが入り乱れた、侵し侵されるのは常。正解(正しさ)があるようで正解(正しさ)がない世界。」

 

のような根底世界設定を「数千年規模」で楽しんできたらしい。

不思議と、鼻で笑ってしまった。

 

ずっとアクセスしたくても、かすったり、薄皮を剥くようにしかアクセス統合で来てなかった領域のコアに今回アクセスを許された。

 

変更したい世界を感じてみるものの、愛の世界、幸せな世界・・・しっくりこない。

 

今までマイナスだったから、苦しんできたから、恐れてきたから、じゃあプラスに、、、という感覚では不思議とない。

 

言葉として出てきたのは、中庸な世界。エネルギー的原点に戻った世界。

 

とだけ、オーダーしてみた。なぜそんなオーダーをしたのか、頭の先では分かっていない。だけど、内から出てきた言葉はこれだった。

 

私の意図を聞き入れ、そのように統合、設定、再プログラミングが始まる。

 

果たして今後そのように感覚が変化するかじっくり見ていこうと思う。

 

何だか、もういろんなものが自分の意思を超えて動き出している感じがする。

 

私の中の人間意識が白旗上げて降参している。

コントロール意識が日に日に薄まり、何でも良い気になっている(笑)

 

 

 

コントロールを手放していく流れ

毎日、1日の中でいろな角度から一気に表れる現実を通して、内観する日々。

 

最近あった一日を一つの事例として記しておこうと思う。

 

・朝から息子の中学校の担任から電話が。息子が朝礼の時間になっても学校に来ていないと。遅刻扱いになりますがご了承くださいとの話だった。息子は隣駅近くの中学にいくのに、電車を利用しており、毎朝、電車で行ってギリギリの時間に着く想定で家を出ていた。その日は家を出た直後定期券が見つからず、仕方なく、走っていったようで当然遅刻となった。帰ってきた息子にその話を聴き、呆れと怒りが。私たちの住む地域は公立でも高校受験における内申点評価の割合が大きく、日頃生活態度に気をつけているが、たった一度の遅刻で大きく減点される。息子が行きたい高校を目指し日々頑張っているのを知っているからこそ、彼の準備不足や見通しの甘さにイラっとした。

 

・数カ月前から、本気で勉強に向き合いたいというので、(でも力不足なので力を貸してほしいという娘からの依頼を受け)、毎晩ママ塾を開講し、スケジュールや講義、進捗管理を担っています。おいおい慣れてきたら(本人がやり方や管理の仕方が分かってきたら)それらを移管してくつもり。現在期末テスト準備期間に入りました。この2週間ほど、おそらくこの範囲までだろうと多めに見積もっていた見通しが外れ、年度末期末試験ということもあり想定よりもずっと範囲が広いことが判明。学校から帰ってきた娘からそれを聞き、私の中で、一気に出てくる苛立ちと焦り。いつ何をどこまでやるのか、間に合うのか、どんな組み立てに落とし込むか、娘から範囲の話を聴いた瞬間から、それらが一気に頭を駆け巡る(笑)

 

・最近水槽に入れた海水魚の一種パープルクイーン。購入前の調べが甘く、海水魚飼育上級者向けのパープルクイーン、餌付けに大苦戦。夫が出張のため、世話を任され、どんなにお腹が空いていても食べない、食べても彼らの本来の生息地の環境とは異なる食べ方の環境のため、数粒口にするのがやっと。それを観て、うまく餌付けが進まないジレンマ、苛立ちに似た怒りが湧いてくる。「生きる力が弱すぎる!(怒)」、と。

一方で、穏やかな性格だとネットで調べ、購入したロクセンヤッコは、個体差なのか、超ビビりで神経質、周りを威嚇し、自分のテリトリーにほかの魚が入ろうものなら、どこまでも追い回し、しかもそのテリトリーをどんどん拡大させ、平和だった水槽が一気に殺気立ち、しまいには本人がストレスで病気に。自分の神経質さや小心者さを外にぶつけ、自分も病気になり、只今薬浴隔離中。こいつは何がしたいのか、「どいつも生きるのが下手すぎる!!」、と心の声。

 

・我が家は5人家族で、食べ盛りの中学生が二人と大食いの夫がいるので、食材や日用品がすぐに減る。出不精の私にとっては買い物に行くのが億劫だけど、一方で少しでももの(特に食材)が減ると、不安になり、重たい腰を上げて外に出る。食材に関しては、今までもストレスに感じていたのに、急にスポットライトが当たったかのように、ああーーー私、少しでも食材が減ることに超ストレスに感じるのだなと、今になり超自覚するという(笑)

 

 

こうやって、心が触れた瞬間を俯瞰して捉え、記憶する。そこからの現実はあまり意味がなく、淡々とその場を終えていく(笑)

 

私の内観の傾向は、こうした角度が異なる事象のものが複数揃った段階で、深くまで内観する。もちろん、一つで分かればそれに越したことないが、内観の層が浅いと感じる場合は、他の事象が揃うのを待つ。それまでは、ドラマを観たり掃除したり、絵を描いたりして楽しく過ごす。

 

そして、ある程度揃った事象を俯瞰して眺め、深めていく。

 

今回のこれらはすべて「同じ大本」から来る表現型で、

 

その根底に在るものは、「生きることへの不安」

 

だからこそ、自分が自覚していなかったけれど、生きることに対して、ものすごく神経を張り巡らせて、うまくいくようにコントロール、ウォッチしている。時間や備品や、自分や家族が生き損じないように。

 

そのコントロールから外れると、イラっとしたり腹がったたり焦ったりする。

 

 

 

 

毎日平和だと思っていたけれど、これに気づき、これらをようやく終えられる時が来たのだなと理解するとともに、感謝や安堵が訪れる。

 

気づかなければ終えられない。

 

でも気づいてしまえば、もう辞めるだけだ(笑)。

 

「生きる不安」

「できるだけ不幸になる度合いを下げ、生き損じることなく生きることへの執着」と表現しても良い。

 

それらにアクセスして統合させていく。

 

私、よく今まで頑張ってきた。

 

私の魂の仲間たちよ、よく生き抜いてきた。頑張ってきた。

 

これらの想念があったからこそ、たくさんの経験や叡智、スキルを手に入れた。

 

それらは、もしもの時に十分活躍してくれる。だけど、もしもではない時は休んでもらい、柔らかく見守ってもらおうと思う。

 

そんなに気を張っていなくても、十分守られている世界の中に既にいる(笑)。

食べものが底をつこうが、40m先にスーパーもコンビニもある(笑)出前もある。宅配もある(笑)私が買いにいかずとも、子どもたちだって買いに行ける。

書きながら、こんなにも安心が揃っているにもかかわらず、生きることへの恐れを持っていた、とはそれだけ内側のエネルギーの大きさを改めて思う。

 

これからは必要以上に気負わず、手放して楽に生きていこう。

 

みんなでそれぞれに称賛を送りながら、みんなで次のステージに行きたいと思う。

 

 

 

 

 

家の状態と意識の連動

タイトルの通り、家と意識って連動していて、私の場合シンクロ率がおそらく超高い(笑)

 

今の家に引っ越して約9年。

 

結構家は常にきれいな状態になっているけれど、

 

ここにきて、

 

急に重くなったトイレの引き扉だったり、

今まで気に留めなかった場所が急に気になり出したり。

 

今まで何も問題なかったものが違和感になったり、

今まで意識の中に上がってこなかったものだけど、確実に汚い(笑)だろうと想定される場所が気になりだしたり。

 

こういう時は、意識から、掃除からと並行して対峙していく。

 

お風呂の鏡の下の大きな台の裏のカバーが取れることを知っていたのに不思議と一度も開けようと思わなかったのに、ふと思い立ち、開けてみると、想像通り、やばい状態に在ったことを知る(笑)一面汚れていて、さらにカビまで。。。お風呂の見えるところばかりきれいにしていて、このカバーの下はカビの温床・・・、ってことで、笑える事態。

 

お風呂の扉が取れることもうっすら知っていたのに一度も取り外してまで掃除しようと思わなかったのに、ふとやってみようとなり、取り外し見てみると、ここも想定以上の汚れ。。。

 

トイレの引き戸も外して、電動ネジで調整したり、戸車の掃除をしたり。

そうすると、思っていたのとは違うものが原因だったことを知り、結果綺麗に直った。

 

 

全部きれいになると、意識がスッキリ。

観てないふりをしていたのかもしれない。無意識に観てない・気づいてないふりをしていたのだろう。

 

でも結果、こんなところまできれいになり、意識も家もスッキリ°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

 

連動して、意識面で、今まで気づかなかったことが表面化し、それに向き合い、一つずつ統合させていく。

 

気づいてしまえば、確かにあったと分かるのに、ずっと観ないふりをしてきたんだなぁ、と。

 

一方でこうした細やかなところまで終わらせて行けることに感謝と、自分へ祝福を贈ってます。

 

 

 

 

New World

昨日、期間限定ではありますがセッション料金を値下げする選択をして実際にメニューに反映し公開しました。

 

https://ameblo.jp/marla33/page-2.html

 

 

その夜自分の中から出てきたものこそ、この数カ月苦しみ抜いた想念で、

 

気づいてしまえば、確かにある!し、何なら生まれてこの方ずっと根底に色濃く持っていた(笑)と。

 

この数カ月、もう終わらせるために色濃く表面化してきてくれていたが、その「本質(大本)」をなかなか捉えられなかった。

 

薄皮をはぐように進んできて、昨夜、本当に出会いたかったものに出会った。

(人間意識の自分は一番見たくなかったものなので、一時ショックではあったが、統合され、多次元で観ると今まで一番の祝福とギフトだと思う。)

 

 

昨夜は、エネルギー統合などせずとも、ようやく対峙できたそれを「持っていた」と気づいた(認識できた)だけで、

 

身体の芯からエネルギーが半分ふにゃふにゃになり(笑)、

 

エネルギー統合すると、一気に世界線が変わり、自由を手にした。

 

 

今までも無数の制限から抜けてきたけれど、そのどれよりも、影響力がすごかった。

 

私の根底にあり、これまでの私を作ってきたベース(もの)だからこそ、

 

このベース設定を終わらせるだけで、世界が大きく変わった。

 

今までも自由だと思っていたけれど、比にならないほど自由を得た気がする(笑)

 

(それだけ自分の人生の中で大きく占めていた鳥かごだったという事か)

 

その想念から展開される様々な感情や感覚を分析し、よくできた構造だと感心する一方で、改めて、こりゃー難問だったわ(笑)と 白旗上げました(笑)

 

 

四面楚歌

 

どこにも逃げられないように、全方位ふさがれた。

 

分かっている。

 

次のステージに進まなければならないこと。

 

 

ずっと観ないふりをしてきたけれど、

 

それ以外道がないまでに追い込まれた。

 

 

進まなければと分かっているけれど、内側にある「何か」がてこでも動こうとしない

 

 

それらを見に行かせることさえ、させない。対峙しようとするとすると、身体の奥から強いブレーキがかかる。

 

 

こうやって、ずっとTVドラマを観たりして、対峙の時を先延ばしにしてきたけれど、もうにっちもさっちもいかない。

 

子どもたちの給食も始まり、時間はたっぷりある。

 

 

のに、向き合えない。

 

現在遠回りしていいので、着実に前に進める道を模索中。

 

今朝は、アカシックへ繋がれ、とのサイン。

 

一旦繋がってみようと思うが、午後からにしよう(;'∀')

 

 

なんで、こんなに進ませない力が働いているのか分からないけれど、すさまじいパワーだ。

 

 

 

あ~~~~~~~~~、まじでどうしたらいいんだーーー!!!

 

 

現実はどこにも不調和を映していないけれど、私の中だけで超不調和な状態で気持ち悪すぎる。

 

 

立ち位置

年末からずっと国内ドラマにハマっていて、ようやくひと段落して

今日は急に思い立ち、大掃除をしております。

 

夫と息子は元旦から二泊三日の釣りに出掛け、女子だけで年始3日をまったり、ぐーたら過ごすという至福の時間を過ごしました。

 

食べたいときに食べ、寝たいときに寝て、ただひたすら自分がやりたいことだけをやる。ドラマ三昧で気づいたら23時半。子どもたちと慌てて寝る、みたいな(笑)

 

この時期に国内ドラマを観るのも、年始早々の大地震、航空機事故なども私の中では繋がっていて、どれもが立ち位置を見つめ直す機会となりました。

 

被害にあわれた人の苦しみや辛さは想像を超えると思いますが、私個人も熊本地震を間接的に経験した身として、そして、日々目覚めの立ち位置を極める過程を進める身として、

 

 

いろんな想念を手放し、『どこに立っていることが大切なのか』をまったりした時間の中でも何度も何度も伝えられているようなそんな時間を過ごしています。

 

 

スピリチャルな情報を発信されている方の中には、これらの災害・事故などに対して浄化のエネルギーを送ろう、一斉ヒーリングを呼び掛けている方がいらっしゃいますが、個々の自由でありすべてOKだと思いますが、個人的にはその感覚がしっくりきません。

 

形が違うだけで、根本は(大小あれど)同じ不安や恐怖などといったエネルギーの存在を感じてしまうのです。

 

起こっていることは大変なことなのかもしれませんが、私は不思議と同じ感覚の中に入ることができず、最初はあまりにもドライな自分にこんなんじゃダメなんじゃないかと少し感じましたが、本当に立つべき場所は同じ感覚の中ではなく、その外の、どこなのだろうと模索中です。

 

人によっては、「心がない」と思う人がいるかもしれませんが、果たして、同じ感覚の中にいることが本当の意味で思いやりや愛が在ることなのか、私にはわかりません。

 

 

 

国内ドラマはどれも様々な感情を描いており、表面化させる感情もあれば、その奥に潜む感情、あえて表面化させない感情など、描写は様々。いわゆるネガティブな感情も本気で、心底「美しい」と思う自分がいます。これら細やかな感情は、人類が様々な経験体験からみんなで創り上げた「最高の叡智」であり、細やかな心の機微を掴めるこれらの感覚こそ、人類が持つ芸術作品(叡智)なのだと思います。

 

ネガティブな感情は一般的に良くないもの、できるだけ感じない方が良いものとされていますが、2023年様々な自身の想念を超えていった先には、どれもが愛おしく、素晴らしい、美しいものであるという見方に変わってきました。

 

いままでもグラデーションのように変わっていっていたけれど、最近は良い悪いの概念を超えた全部を包括し平たいものたち、という風に感じます(笑)わけわからん表現かとおもいますが(笑)うまく表現できませんm(__)m。

 

 

自分の中の根底概念が変わり、何が正しいのか、何のためにセッションをするのかなど、更なるリセットする時が来たのだなと思います。

 

 

未だにこれだ!というものを捉えてはいません。だけど、ガツガツ探そうという感覚もなく、日々、時が流れる中で、エッセンスが目の前に来たら一旦受け取って、最終的にそれらすべてのエッセンスを観て、分かる時が来るように感じていて、今はただ、あえて答え探しをせず、日常を眺めています。

 

 

こんなものまでも終えていけることに感謝

ここ数日、今まで全く知覚できていなかったけれど、重たさのようなものが

表面化し、それらを終えていく流れの中にいます。

 

気づいてしまえば、ああ、確かに重さとして存在していたわ、と(笑)

 

こんなものまで終えていけるのかと、感謝。

 

何か現実で起こっているとか、感情が荒立っているとかではなく、

最近ではうっすら感じ取るレベルで、気づける。だから最初はそれが何なのか、微細に感じ取る作業から始まるが、これがまた楽しい。明らかな感情が発動していない、まだその奥の状態で感じる超ささやかなものを手繰り寄せ、明確化していく感覚がたまらない。

 

現実面では、子どもたちが居て、三食、おやつ付き、そしてすぐにお腹空いたという息子のおかげで何かしらいつも作っているか、デッサンしているか、このうっすら感じる何かを探求しているか。それくらいしかやっていないのに、忙しいって、何だこりゃ(笑)

 

 

ブラッシュアップライフ

最近忙しくて、映画や本など読む時間を取れておらず、、、、

 

というか、自分のアンテナに触れるものが特になかったというのが正しいかな。

 

だけど、ネットフレックスで、「ブラッシュアップライフ」のタイトルを見て

 

これは観るやつだと思い、結局家事やその他を放棄して1日で全話観てしまった。

 

超面白かった!ツボッてしまい、ずっと観ていられる世界観。

 

どの役者さんもいい味出している。

 

人生何周もした上で、何が大事か。

 

軽やかなタッチだけど、いろんなメッセージがあって良い。

 

www.ntv.co.jp

 

本気で、目醒める人を応援する

 

目醒めスペシャリスト養成講座を開講します!

 

これまで、セッションでは、お客様の課題、問題の大本にアクセスし、癒し、統合することにより、目覚めをサポートさせていただいておりましたが、2024年は、目覚めを進めたい方自身が、自分の力で目覚めを加速させて行ける、本質的な目醒めを色濃く、スピード感もって進めていける講座を始めます。

 

目醒めと一言で言っても、この世界は宇宙のように広大で、でも一方で実はシンプルな法則等に則っていたりして。

 

人間である私たちは長年使ってきた意識(人間意識)により、新たな角度である「目覚めの感覚」を落とし込むには時間も労力もかかったりします。

 

かくゆう私もその一人。この目覚めは好きで、面白くてやっていたけれど、一方でかなりの時間と労力、お金を費やしてきました。この8年は、自分の多くをこれに投じてきました。

 

解き明かしたいのに、すぐに分からず、試行錯誤を繰り返す日々。

時には絶望を感じたり、すべてを捨ててしまいたくなったり(笑)

 

だけど、そうした試行錯誤してきたからこそ、迷いやすいポイントだったり、ズレた時の感覚だったり、逆に腹落ちする時の感覚、ひらめきの感覚、目覚めのど真ん中に居る時の感覚など、進みたいのに進まない時は深い領域に(ブレーキのエネルギー)がありそれらを終えていくことで軽やかに抜けていく感覚も、どれもが自分の中で叡智となっている。

 

自分が超えてきた領域で、人が悩んでいると、瞬間に何が起こっているか分かるし、抜け方も分かる(笑)

 

そういう意味では、この8年のこの失敗や試行錯誤の連続は、そのどれもが宝であり、無駄などひとつもありません(笑)

 

ただ、私のように時間や労力をかけて、同じようにしないと目覚められないわけではなく、今は、もっと軽やかに抜けていける時代。

 

これまで8年間の叡智と、あなたの大いなる領域との協働創造をあわせて、あなたの目覚めを加速させるサポートをさせて頂きたいと思います。

 

決して安い金額ではないけれど、私の本気度を表す価格として見て頂けたらと思いますし、実際受けてみられると、費用対効果として、決して高すぎる金額ではないと個人的には思っています。

 

他を言うわけではないけれど、私も目覚めを進めるに当たりいろんなものにお金を投じてきましたが、内容的にはかなり叡智が濃縮された上にぎゅっと詰まった(笑)目覚めの精髄であり、同じものを他で調達するより、かなりお得な価格だと自負しております(笑)

 

 

本気で目覚めを決めている方と、講座を通して出会えること、

共に共同創造していけることを楽しみにしております。

 

 

講座の詳細はこちらをどうぞ。

 

ブログ

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ホームページ 

https://www.manami-lightlanguage.com/

 

 

 

 

 

自分で闇化したものを光に還す、これに感動する

喜怒哀楽は激しく、毎日元気に生きているようだけれど、

 

心底心震える瞬間ってそんなに多くはない(笑)普通か(笑)

 

だけど、改めて、この動画をみて、私は、こうやって

 

「自分で闇化させているものを、光に還す」

 

見方を変えるだけで、それが実際に起きるこのプロセスが、それを生み出せる人間の力に心底感動する、心震えるのだなと、知り直す。

 

特に闇と光に大きな差があるものを観るとその感動は大きい。

 

youtu.be

 

この動画は、闇の中にいるときと、その抜けた時(8カ月後)の変化が分かりやすく編集されています。

 

 

人の力、周りの人の力。

 

私もやっぱり、「こういうこと」を生きる中心に置いて生きたい、と自分のこれからに宣言する。

 

 

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