youtube動画で、横田正一さんの帰国後のカルテを取り上げたドキュメンタリーを観た。
小野田さんと横田さんの動画はこれまでも観たことがあったが、今回の動画の中で、彼が生前書いた書の文字に「今日無事」があり、実際にその書を初めて見た。
その文字を観ると、とてもこみ上げてくるものあった。
涙が止まらなくなり、横田さんの人生云々ではなく、
私の中に「おなじく熱量高く存在するもの」があることを改めて感じるものだった。
ずっと知っていたけれど、改めてそのエネルギーを抱きしめたくなった。
今生の私の人生は、いうほど困難などなく、子どもの頃から今に至るまで幸せだった。
だけど、いつも根底には、
「何も起こらないことが幸せ」
「平凡な暮らしこそが幸せ」
「ただただ、家族と笑い合えることが幸せ」
「大きな幸せを目指して頑張るより、目の前の幸せを味わい噛み締める」
があり、大きな変化や刺激、外の世界を求めないところがあった。
特にこの8年くらいはそれが顕著で、
毎日が平凡に過ぎていくことを芯から満喫する、
それで心を満たしていく日々だったように思う。
節約など考えずに、思いっきり食べたい食材を買う喜び。
お風呂いっぱいにお湯を張り、誰に気を遣うわけでもなく自分の幸せのためにゆっくりお風呂に浸かる幸せ。
昼間っからゴロンと横になったり、時間や予定や働くから解放される幸せ。
太陽が降り注ぐ中でベランダや干し竿いっぱいに洗濯物が干せる幸せ。
時間をかけて洗濯物の端と端がぴったり合うように畳める幸せ
水をたくさん使って食器が洗える幸せ
掃除してきれいな生活空間で過ごせる幸せ
清潔で綺麗なお布団で寝れる幸せ
家族でたわいもない会話で笑い合う喜び
喧嘩さえ、繋がりが切れる心配なく、思いっきり自分をさらけ出したり表現する幸せ。
ちょっとやそっとでは、この暮らしが揺らがないと確信するまで、その平和で安定した、(一見地味にも見えるような)日々の家族とのやり取りや暮らしを思いっきりやってみたい、味わいたいという感覚がずっとあった。
2年前からライトランゲージを使って並行世界にアクセスできるようになってからは
答え合わせのように、これまでそうした感覚を持ち合わせていた背景や理由を知り、
苦しく、安全が確保されない、生きること自体が困難で、愛する人と愛を交流することが簡単に許されなかったり、それよりも生き延びることの方に精一杯で、といった
そんなたくさんのエネルギーとの繋がりを知り、統合し、彼らと共に、
今まででき得なかったその目の前の愛に集中する、味わう、満たすをやってきた。
横田さんの「今日無事」を観るだけで、こんなにも涙が出るのは、そうしたみんなの、一日一日を無事に生きること、平凡な暮らしさえ十分に出来なかった人たちの心が癒されていくようで、内側で愛の拡がりを感じる。
「今日無事」
いろんなものや人に自然と感謝したくなる、この命や暮らしのありがたさを改めて考えさせられる私にとっても、大事なKeyWordです。