最近、琵琶を聞いています。
琵琶を使った今風の音楽ではなく、ただ琵琶の音だけが鳴り響く。
音楽を楽しむというより、音の広がり、
音が広がる空間を愉しむ。
という感じかな。
ずっと琵琶が聞きたかったけれど
なかなか好みの楽曲に出会うことが出来ず、
結果、二胡やマンダリン、三味線、尺八、など古典楽器の
楽曲を一通り聞いてみたけど、やっぱりなんか違う。
いろいろやってみて、なんとAMAZON MUSIC内で見つかるという(笑)
二胡のような華やかな音(何だろう「陽の音」)ではなく、
琵琶の、陰の音。太陽と月で言うと「月の音」。
表現が難しいけれど、音の振動が波紋のように空間に広がる。
あの独特の音が無性に恋しいとかんじてしまう。
そして、この6~7月になると、
どうしても京都に行きたくなるこの感覚。
好むものは、日本庭園だったり、茶室。
枯山水様式の庭や苔、茶室の躙り口から入るあの狭い空間。
想像するだけで、においまで一緒になってやってくる。
朝早くから、庭を掃き、茶室を整え、花を生け…
とお茶会を開催した経験はありません(汗)。
こうした志向になったのは、2019年5月あたりから。
2019年4月の末に後ろの守護霊チームの大編成が起こり、
主守護がイギリス人女性から日本人男性に交代。
どちらも私の過去世のよう。
男性は今のお茶のカタチになる前の時代のお茶の先生のようで、
お茶の世界を通して、自分の中に在る宇宙観を追求していた。
とにかく厳しい。静けさの中に在り、落ち着き、どっしりグランディングされ、
ちょっとやそっとではぐらつかない、ブレない。
彼に交代してからは、自分が自分ではない、自分を取り巻くオーラが
一気に変わり、
少しでも意識がふわつくと、ぐーっと押し込められ、
外の世界と遮断されるかのように内観をさせようとしているのが
よく分かった。
最初こそ、その感覚に馴染めなかったものの、
時間が経つにつれ、自分が知らなかった静の領域、内側に入るという感覚、
今まで意味がないもの、価値がないものと切り離してきたものの中に
大切なものが存在し、外に見つけに行くのではなく、
日々の暮らしの中に広大な宇宙があること、
自分の追求すべきものが詰まっていることを教えてくれました。
今でも彼が守護霊チームの主として導いてもらっていますが、
ガイドの彼の特性などが「生きている自分」に
これほど影響するのかと面白く見ています。
彼以外のガイドで私の子育て面などをサポートしてくれる
アメリカ人女性がいます。
西部開拓時代のその女性は母親でもあり、
親を亡くした子供たちを集めた学校の先生でもありました。
たくましく、パワフル。愛情いっぱいの彼女。
昔から大好き。
私の趣味の刺繍やダーニングなども彼女の嗜好だと思います。
一緒に魂の成長を決め、チームになった私たち。
私がメインでこの世で生きているように見えて、実はみんなでこの世を思いっきり
楽しんでいるのだと思います。
私が認識するだけでも自分の守護霊は4人以上はいるので、
彼らが好む領域ももっと深め経験できると思うと
何だかワクワクします。
2019年の内観の時期の記事↓
collectingmyself.hatenablog.com
2019年の同時期の記事↓
仏陀と主守護の彼のタッグは最強だった。
2人ともエネルギーがとても良く似ています。
「自分以外にはいない」「外はすべてが幻想、自分の内側の投影」
collectingmyself.hatenablog.com