多次元世界を探求する

自分の宇宙は自分の中に内在する。意識変容の先は多次元空間が存在していた。8年間内観しずっと自分の奥を掘っていったら、3年前に堰を切ったようにライトランゲージが口から発さられ、さらにその奥の多次元領域にアクセスできる鍵を受け取った。現実と多次元領域の連動を楽しく研究する日々。

言葉への興味関心

 

娘との勉強を通して、得た新しい感覚、それは「言葉の世界への興味」。

 

学生時代から今に至るまで、国語に関してずっと苦手意識が強かった私ですが、

 

死ぬまで変わらずこの苦手意識を持ち続けるだろうことに何も疑いがなかった(笑)

 

だけど、娘の勉強を通して、娘に教えるつもりで向き合った国語が

 

今、私の喜びを誘う兆し(まだ兆し程度だが笑)に変わろうとしていることを面白く観察している。

 

娘にために買った語彙集を読むと結構最初の方から知らない語彙ばかり。

 

初めて知り、へーーーと知的好奇心が満たされていく。

 

国語のテスト問題集は、テクニックとしての国語の捉え方を学ぶ必要があると感じ、

それも何だかワクワクしている。

 

国語は感性と思っていたけれど、テストとして評価される以上、論理的な理由を持って絶対的な解がある、まさに数学のような解き方ができるのだと分かり、その様々な解き方(テクニック)を知りたいとワクワクしている。

 

このあたりは、娘を追い越し、私が学ぶモード全開で

 

「娘に教えるから学ぶ」のではなく、「興味があるから学ぶ」に完全に切り替わった。

 

 

娘の進学を検討する流れで出会ったデッサンも、

 

今や「一人心細いという娘のために一緒に絵画教室についていく」から「私がその世界を探求したい」に切り替わり、絵画教室にいる間、横に座り描く娘の存在も、娘の絵の進み具合も出来も、全く気にならないというか、正直完全に忘れているほど、自分の世界に熱中してしまっている(笑)。

 

今やっている石膏デッサンに変わってからは吸い込まれるようにyoutube履歴はすべて石膏デッサンに変わり(笑)、光と陰で顔や体を浮かび上がらせる、表現する書き方に惚れ惚れする時間を過ごしている。

 

線で描くのではなく、

 

細かくパーツごとに見て捉えるのではなく、

 

全体性を捉えながら、光と影だけを追いながら全体をまんべんなく書きながら対象を浮かび上がらせていく。

 

何事もそうだが、全体性とバランスの重要性を痛感させられる。

 

局所的にならず全体性を持つこと。その全体性こそが魅力的に局所局所を活かしていくことができる。絵を通して、今まで弱かった部分を補完する流れ。

 

実に面白い。

 

 

 

 

 

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