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2016年4月に起きた熊本地震で
我が家や集落、村全体の家々が全壊し、道路も田畑も亀裂が入り流れてしまい、
断層のおかげで水も出なくなり、一夜にしてすべてが変わってしまいました。
私はずっと関東に住んでおり
帰りたくても交通機関がマヒしておりすぐは帰れませんでした。
実家の家族は日中は余震がずっと続く中、家のがれきや崩れた石垣の処理、
夜は村の体育館で寝るという暮らしをしていました。
実家の家族が苦労しているとは思いつつも私にできることは
電話すること、必要な資材を送ることくらいしかできず
無力感を感じながら過ごしていました。
熊本地震から3か月した頃、
母から心配した内容の電話がかかってきました。
「実は黙っていたけど、お父さんの状態が良くない」
話を聞くと、いろいろな行動からすぐに「うつ病」だと気づきました。
しかもかなり重度だと。
実家では周りにそういう人がいなかったため分からなかったこと、
毎日毎日大変で互いを気遣う余裕がなかったこと、
そしてあまりにも急激にうつの状態が進行したこと
今一瞬状況が良くないだけですぐに治る
あとは遠くに住む娘に心配させまいと、実家の父以外の家族で思っていたこと
話を聞くと、ここ1カ月隣人との敷地や石垣等のトラブルや自宅をはじめとするアセットの修復費用、
県道路修復の為の迂回道路建設で大事な稼ぎ頭の畑が当面使えなくなることなど
家族がとても苦しい状態にあったことを知りました。
電話を切った後は家から行ける範囲の精神科がある病院に手あたり次第電話するも
どこも初診予約が3カ月~6か月以上先ばかり。どこも震災後精神的に病む方が多く
患者を受け入れる余地がないとのことでした。
私は会社に休みをお願いし、1週間ほど帰省する準備を始めました。
帰省する日の2日前の晩、父に電話し、
明日帰ること、
帰ったら私がすべて問題を片付けてあげること、
心配は微塵もいらないことを伝えました。
父は泣きそうな声で、「すまん。ありがとう」と何度も言いながら、
今自分が心配であることをすべて私に話してくれました。
電話をした次の日、
父は自ら命を絶ちました。
その日の朝、仕事中、母からの電話の激しく乱れた口調でその知らせを聞き
明日には帰るといったのに
悔しさと父の苦しさを早く気づいてあげられなかった
父を助けてあげられなかった後悔で泣き崩れました。
5につづく
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