自ら情報を取りにいかずとも、
必要なことはサインとして目の前に現れ、
そこから情報を読みに行くだけで
最適なまでに物事が楽に展開する。
最近は自我が薄ーくなり、一部始終の展開が終わると
動かされているなぁと感心する。
古代の日本人(縄文人)の感性はそんな感じだよ
ってささやかれます。
シンプルな回線のようで、
いろんなものと繋がっている。
お互いを侵し合わず、
配慮を持って
程よい距離感で。
この感覚から昔の自分の感覚を見ると、
分離され、何とか頑張らないとともがいていたなぁと
懐かしく、
愛おしくさえ思える。
昔の私にエールを贈る。