多次元世界を探求する

自分の宇宙は自分の中に内在する。意識変容の先は多次元空間が存在していた。8年間内観しずっと自分の奥を掘っていったら、3年前に堰を切ったようにライトランゲージが口から発さられ、さらにその奥の多次元領域にアクセスできる鍵を受け取った。現実と多次元領域の連動を楽しく研究する日々。

自分のすべてを受け入れてありのままの自分を生きるとハートが開く

 

最近自分の「ハートを開く」を後押しされていると感じます。

 

 

目覚めのプロセスを歩み始めたころは、

統合で少しずつ軽やかになる自分を感じて

この先にいる自分は「聖母マリア」のように、

家族や友人、起こりうる出来事さえも慈しみ、

支え、見守るような存在になれるのはないかと夢見ていました。

 

ただ、途中統合しているにもかかわらず、

 

まだまだ怒りや恐怖が出てくる自分をみては、

目覚めが進んでいないと焦ったり、負の感情が出てくる自分自身を恥じたり、

自分を残念に思ったりしていました。

 

 

ただ、いろんな経験を通して、学び得たのは

そんな何者かになるのが目覚めではないということ。

 

 

今でも怒りや恐怖、苛立ちがなくなったりはしていません(笑)!

 

イライラするときは我を忘れるくらいイライラします(笑)

 

 

目覚めを進めると、たくさんの制限を外していくので、

そんな感情を引き出す現実をめっきり映し出さなくなったり、

過去と同じような場面だったとしても過去と同様の感情が伴わなくなったり、

同じ場面を見ても捉え方が以前とは大きく変化したりしています。

 

ただ、自分が持つ別の制限を映し出すために、

怒り、恐怖などの一般的に言われる負の感情を感じることは普通にあります。

 

なので、怒り、恐怖が出てくることで、「目覚められていない」という

ふうには全く思わなくなりました。

 

同時に、「聖母マリアのようになることが目覚め」だとも思わなくなりました。

 

感情は自分の制限に気づくセンサーのようなもの。

 

今ではその感情が来ると、「解放できる制限がある」という認識に変わってきました。

 

 

ただ、負の感情は「制限解放のセンサー」と分かりながらも、

 

どこかで

 

ずっと自分のなかの、

 

「喜怒哀楽が激しい私」

 

「被害妄想癖がある私」

 

 

という自分を嫌ってきました。

 

それをなくしたいと、ずっと統合をしてきました。

 

被害妄想癖は昔に比べると薄くなりましたが、たまーに

ひょこひょこっと顔を出します(笑)

 

「ただの現象」と「自分が攻撃されている」を勝手に結び付けてしまう

癖(パターン)だと理解しているので、抜けるのも早いので

問題はないのですが、それでも毎回出てくるそのパターンに

まだある・・と残念に思っていました。

 

 

だけど、ここ最近、いろんな出来事や感覚を通して、そうした自分の嫌いな部分を

受け入れる流れの中にあるのだと理解するようになりました。

 

今までのようなハードな現実を通してではなく、

だけどいろんな方向から確実に同様のメッセージがやってきます。

 

 

例をひとつ挙げると、

 

今年に入り、家族の中でママの呼び方が変化してきて、

以前は「ママちゃん」だったのが、

今年の2月くらいから、夫が「ママ神様」とたまに使い始め

今では全員の中で「ママ神様」と呼ぶのが定着。

 

先日子どもたちが「母の日」にママ神様の絵を描くねと、

描いてくれる絵は、面白いことに、すべてに

 

 

頭に「角」がある。

 

だいすきというメッセージが添えられ、

顔は笑っていて、神様のような服を着てキラキラしているけれど、

頭にはでっかいでっかい角。

 

「神様なのに、角あるの?」と聞くと、

 

「角があるのが、ママ神様なの」、と。

 

 

それを聞いたとき、一瞬「?」と思ったけれど、

あっ!角(=怒る)があってもいい、というメッセージなんだと。

 

あとは、最近自分を演じると、ものすごくストレスを感じるように。

昔の営業時代の「表面的な」「物分かりがよさそうな振りの」

自分を出そうとすると、肩がこるように。

日頃、家族や友人の前では自分そのもので生きているのに、

少しでも他人に「良く」見せようが働くと、一気にエネルギーを消耗してしまう。

 

いろんな現実(角度)から、

「そのままの自分受け入れる」「そのままの自分で生きていく」という

メッセージなのだなと理解しました。

 

 

実際に、嫌いだった自分を受け入れ始めると、

 

現実も変化。

 

最近は体の浄化が激しいので、

体の変化に伴って肉体についていた感情がすごい勢いで出ます。

 

以前は、家族に迷惑にならないように抑えようとしていましたが

どうしようもないくらい噴出します。

 

 

以前はそういうイライラして怒っている私を見ると、

夫が何とか穏やかにさせようと

気遣いものすごいエネルギーを使っていました。

 

夫に気を遣わせてしまうことに対して申し訳ないと思い、

できるだけセーブさせようとしても結局セーブさせた分

噴出したりして二人で苦しいスパイラルの中に居ました。

 

 

だけど、最近は、

 

夫はどんなに私が怒っていようが、痛みで苦しもうが

 

完全スルー状態(笑)

 

最初は「あれ?」と思ったけど

 

 

気兼ねなく最高に負の感情を吐き出せるこの環境に

ありがとう!!と喜びを感じながら、思いっきり吐き出しています。

 

 

子どもたちにも、

「今日のママはコントロール効かないからね、側によると危険よ」

というと、

 

 

「はーい♬」

 

といって、それぞれが好きなことをしてずっと私を一人にしてくれます。

 

 

どんなに私の顔が険しかろうと、夫はそれを見て

「また怒ってる~思いっきりプンプンしたらいい」とクスクス笑っている。

 

以前は私も一緒に行かなければ、みんな外に遊びに行かないと言っていたのに

先週は当たり前のように私を置いて外に出て楽しんで帰ってきた(笑)。

 

 

 

感情に蓋をせず吐き出せるって本当に楽、気持ちがいい。

 

もう最高の環境です。

 

今は浄化の真っただ中で感情のコントロールがきかないけれど、

抜けた途端、何だったのかと思うくらい平常運転になる。

 

いつも怒っているわけではないけれど、

こんなに怒りのピークでも、みんな遠くで

それぞれ自分の好きなことをしながら幸せに見守ってくれる。

 

喜怒哀楽が激しいことが好きではなかったけれど、

良くないこととしてきたけれど、

 

そういう私も受け入れる。

 

 

そうすると、そういう私を受け入れた環境(現実)に変わる。

 

(現実は全部自分が映し出しているので当然なんだけど

面白いほど自分に優しい現実に変わる)

 

自分のすべてを受け入れると、

心のどこかにあった靄がぱーっと晴れ、ハートが全開になるのが分かります。

 

どんなものでもきやがれ、くらいの勢いです(笑)。

 

ハートが開くと、ハートのセンサーが全開なので

日々必要なことは、感覚で分かる。

 

結局、統合もどんどん進み、

 

さらに負の感情を使うようなケースがどんどん減っていき、

 

さらに優しい現実が映される。

 

ハートが全開で生きるってこんなに幸せなのかと。

 

それだけで、本当に幸せ。

 

何かあるから幸せじゃなく、その状態であることだけでもう十分すぎるほど幸せだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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