過去生の集合意識との長い会話を経て、今感じるのは、
この世界は、良い悪いではなく、
どのすべてもがそのままのエネルギーで存在しており、
「在る」「生きている」
もうそれだけで、尊く、十分なのだと。
日々いろんな要因で人の感情は様々な出方をする。
聖母マリアのような時、
甘えん坊な時、
地獄の鬼のような時
仏陀のように静観している時
お腹が空いて気が狂いそうな時
いろんな状態に、人は社会の集合ルールを元にジャッシし、
良い悪いという見方をしては、苦しんだり、自己価値を見出したり。
それらもぜーーーんぶ含め、私たちは生きているという事で
もう十分なのだと(笑)
螺旋階段を上るように、一周して毎回ここにたどり着く。
だけど、周を重ねるごとに、
削ぎ落ち、シンプルに、
だけど意識はより安堵と確信へと。
私の過去生の多くは大変な時代を生き、辛い経験をしたけれど、
良い悪いではなく、
みんなそれぞれの人生を一生懸命生きた、
もうそれだけ。
実は癒さなきゃというものも必要なく、彼らの生き様を知り、
彼らのすべてを認め受け入れる。
それこそが結果癒しなのだと気づいた。
誰も助ける人などいなかった。
彼らを知ることは自分を知ること。
互いに生きている、生きてきたことを称賛しあい、
手を繋ぐ。
彼らが求めていることが、癒しではなく、
ただ、同じ「生きている」を経験したものとして
各自を認識し、認め合い、尊重し合う、
手を取り、みんながただ生きて過ごしたことを
(中身の良い悪いではなく)
称賛しあう。
それだけでよかったことを昨日長い会話をしながら
教えてもらいました。
それにより自身のエネルギーがより中庸に。
過去生を癒す、
そういう表現の方が伝わりやすいかもしれない、
そういう表現がしっくりくる場面ではそう使ってよいけれど、
あなただけは、私たちの存在(過去生)を癒すものという偏った見方ではなく
中庸のポジションで捉え接していってほしい、という
強い想いのメッセージをもらいました。
しっかりと心に留めて進みます。