夫は出会った頃から私の最大の理解者で、
大学院生で、(今でも未熟ですが)今よりずっと未熟な私が
失敗したり、人間関係の衝突で凹んだとしても
「そのままでいい」と、そのままの私を受け入れ認めてくれました。
それまでの人生は、自己否定のなかで生きてきたので、
夫と出会い、心の底から大きな支えを得て、
どんな苦難でも、根底から崩れることはありませんでした。
それは、40半ばの今でも変わらず、最大の理解者です。
ただ、ある出来事を経て、彼に担ってもらっていたその領域を
自分に回収し、役割から解放する時が来たんだなと悟りました。
ある出来事といっても衝撃的なことはないのですが、
一番下の娘の特性を彼は将来苦労するので直さないといけない、
手助けをして今の内からまあ、簡単に言えば「矯正」しなければ
あとで、本人が苦労するという話を始めたのですが、
その特性はまさに私と同じ、何なら娘の特性の数倍私の方が色濃く併せ持っていて(笑)
その話を聞きながら、私を否定されているように感じました。
当然そう感じていることを話すと、夫からは、
私はもう変えられない(年だから?)、それに苦労する環境からは脱している(要はたくさんの人と絡んでいくステージは終わっている)、だけど、娘はまだ矯正が効くし、今やっておけば、少しは周りと調和を持って生きれるのではないかという。。。
まず矯正しなければならない、という点が超違和感だし、
それがあると調和を阻害するという点も超超違和感。
クソ野郎!と腹の中に在る怒りを直接夫に表現して、
ここからはいつもどおり内観タイム。
結論、私が今まで夫を通して補完してきた領域を
自分の中に戻し統合する時がきたのだなと。
私が私であることを認めるのをずっと夫に任せてきましたが、
外に映し出して補完するのではなく、
自分の中に戻し、私の中でその部分を統合(完了)させていくのだと。
今までは最大の理解者は夫だとしてきたところを、
最終、外の誰でもない、外に映し出す必要もない、
結局自分が自分を認め生きる、そのフェーズなのだと理解しました。
さっきまではクソ野郎と夫に放ったのですが、
急に、「今までありがとう」という気持ちが湧いてきました。
これは本来彼のものではなく、私のもの。彼に担わせすぎていました(;'∀')
そして、彼が何に課題と思い、何をしなきゃいけないと思っているかも
彼の自由だし、結局この現実は私が映していて、
じゃあ、私はどうするのか?
結局私が私を信じるか、この私で本気で生きていくかという
一種のお試し?選択の機会を与えられたのだと。
夫の娘の特性への矯正…
それは私自身が、「娘と同じ自分の特性」に対して完全に認めていなかった
疑っていた、しっかり対峙していなかったことなのだ。
私は喜怒哀楽は激しいし、思ったことをポジティブネガティブ関係なく
表現したいし、それが一番エネルギーが通っていて心地が良い。
(正直そんなところを蓋したり歪めたりして絡まるのはもうお腹がいっぱい)
私は私を生きる!
人からは、文句ばっかり言っているように聞こえても
(特に夫のように自分の感覚に蓋をして(我慢して)生きていると、腹が立つと思うwww)
役割から抜けて好き放題やっても
これが私、
これが私の在り方、
これが私のすべて。
以上 (笑)
そう思ったら、何だかスー―――とエネルギーが力強く
通りました。