今朝は面白いほど、起き抜けから思考がうるさくて(笑)
それを眺め、淡々と不要な観念を手放していくと
エネルギーの流れから
自分の中に次の領域へのいざないであるのだと。
より静かで、でもそこからはなんでも映し出せる世界。
より自分の内側、中心にいけばいくほど
源の感覚に近くなってくる。
コントロールしたり
自分の存在を現実で大きく主張したりせずとも
そこにはもう完全に回っている世界が見える。
自分はいらないのではない。
自分が映し出しているものたち、創り出しているものたち。
それぞれが自由意志を持ち、ただ、実は仕組みの中で
多様な経験を通して宇宙を拡張させる仕組みの中で
もう自動操縦のように
全てが流れていく感覚。
その領域にいると、深い安堵の中で
自分がやりたいこと、
とっておきのコーヒーを飲むこと、
ソーイングすること、
子どものベッドを気持ちよく掃除し整えること。
冬使った加湿器たちを掃除して
来年まで待機してもらうように整えること。
私は私が映す心地よい空間を自分の体のために
整えていく。
いろんな想念が手放されていくと
もう存在しているだけでよいのだと気づかされる。
見せられ、
自分はやはりその道を進んでいくことに合意して
目の前の現実を愛でながら過ごす。
この世界を体を持ちながら経験できることに
感謝の気持ちが溢れる。