子どものこだわりに対して、不安視している親は意外と多い。
そのこだわりが、社会的生活に支障をきたす原因になると結び付ける
傾向があるからだろう。
どんな子も大なり小なりこだわりがあるが、
いわゆるアスペルガーと診断される子どもたちの
こだわりは一般的な子より強い傾向にある。
見ていると、自分にとっての「心地よさ」「不快」を人一倍繊細に
感じ取り、自分を大事にする現われの一つだと感じる。
先日youtubeでこの「子どものこだわりと戦っている親の苦悩」を
表現した動画をみながら、とても違和感を覚えた。
子どものこだわりが発展させまいと格闘する親子のやり取りで
このやりとりで誰が幸せになるのだろうか?と
正直思った。
いわゆるアスペルガーと診断される子どもたちは、
自分のミッションに集中すべく
外部との接触をできるだけ断ちつつも、
感度は高く維持したまま生まれてくる子が多い。
センサーが人一倍敏感な彼らは、
『こだわり』いう名の
自分にとって「心地良い」「不快」という羅針盤をフルに使って、
自分を安全な場所・空間にいさせたり
自分の使命に導いたりするようにしている。
彼らにとってはいわば生命線。
それを、「普通にさせたい」、「社会で将来困らないように」、
と親のエゴでかれらの生命線である「こだわり」を取り除こうとする行為は
より彼らを生きづらくさせてしまうことがある。
「社会で子どもが困らないように」は、子どもを愛するからのその行為だと思うが、
そうした心配越しに愛を表現する・使っていくのではなく、
「子どものこだわりは、子どもにとって必要なものだ」と
彼らへの信頼越しに見ていくことによって、
もっとその愛も親子の関係性も発展的になる。
今ある「こだわり」は今の彼らが必要としているものであり、
この先心も体も成長していく中で、
卒業していくこだわりもあれば
その成長段階に合わせた新しいこだわりが出現してくるだろう。
こだわりをやめさせるのではなく、
なぜ彼らがこだわるのか、その背景を知り
こだわり=悪 とする見方を
親側が卒業していくことが
親子でもっともっと発展的に幸せになる秘訣の一つかもしれない。